友達は無理に集めるもんじゃない
先日、高校を卒業しました。長い3年間でしたね。
卒業式後の皆さんのインスタグラムストーリーズを見てて思ったのが、自分には高校の思い出という思い出が全然ないということ。世の中、「高校は僕にとっての『青春』でした!」という声が目立つ中、こんな愚かで哀れな高校生が綴る記事があってもいいんじゃない?と思いこの記事を書いています。
高校生活満足すぎて!!最高!!って人はこのnote閉じたほうが良いかもしれません。高低差でゲボでちゃうかも。
いいんですね、思ったよりネガティブな記事かもしれませんよ。
と、この地獄のようだった高校3年間、人のせいにするつもりはまんざらありません。
あっという間だった3年間。ともあまり思わない。3年間仲良くしてくれてありがとう!!と思う人はいるけど、インスタに載っける必要ないよね。って思っちゃう。
そもそも思い返せば
そもそも思い返せば、どこで道を踏み外したのだろうか。
個人的には1年生のゴールデンウィーク前、吹奏楽部を退部した頃からなんではないかと思っています。今回の焦点は吹奏楽部自体にある訳ではなく部活をやめてしまったこと。
だが、辞めてしまったその選択に後悔はしていません。新しい出会いも出来たし、結果的にいい社会経験ができたから。「高校生にしかできないことをやれ。」というのも一理ありますが、部活に入るのが正解一択でもないと思います。自分が選んだ道で満足しているのなら、誰が何を言おうとそれでいいと僕は思いますよ。コレ完全に辞めたヤツの言い訳になっちゃってるかな。
でもこれは、広い「人生」という視点で見ればそのような結論になりますが、「高校生活」という狭い視点で見ればまた話は変わってきます。
この高校3年間で学んだことは「”高校生活”を楽しみたいのなら、部活は絶対にやめないほうがいい/入っておくべき」ということ。
その部活動での活動がまさに青春の1ページになります。
あとはクラスでの友達といっても、全員が全員友達にはならない。そんな中、クラス以外の友人がいないのは割とキツいです。
クラス替え初日、同じ部活の友達と「あー、よかったー!」なんていう人を見てると絶望しか感じません。そういうときに、同じ部活の人が1人でもいれば一瞬でも話し相手になったんじゃないかなーと、ふと思います。
先輩後輩がないのは、割と寂しい。
中学の頃を思い出すと、同じ学年の関係に限らず上下の関係は割と大きかったんだなーと思い返されます。中学校の頃も、高校の一瞬も、全員が全員いい先輩後輩だった訳でもないし、自分自身がいい先輩であったかも分からない。けど、日常の中で後輩から「先輩~」って呼ばれたり、後輩の面倒を見たり、自分の学年以外の人と接するというのは日々の結構な刺激になるのです。そんな感覚、中学まで当たり前だと思っていましたが、いざ部活から脱してみると、そうでもなかったようです。
つまり、先輩後輩の存在って割とデカいです。
友達はいなくても割となんとかなる
この高校3年間、当然友達がゼロだった訳ではありません。クラスで過ごす分には十分な友達がいました。でもそれは「クラスを過ごす友達」であり、特別ご飯食べいったりもしないし、ボーリングとかいったりもしない。極端に友達が100人だとして、学年がまたがってもクラスが変わっても連絡取り合ったり、会ったりしてる友達って10人いるかいないか、かもしれないです。大体そのクラスっきりで終わっちゃう。でも結構なんとかなります。クラスっきりって思ってても、結構向こうから忘れずに声かけてくれる人がいたり。
あとはその少人数の中にも野球部だったり、バドミントン部だったりテニス部だったり。結構タイプの違う友達が多いです。なので誰といても飽きないというか、いつでも新鮮です。
帰りは自転車だったから特に駅で遊ぶ~とかもなく、この人数で寂しさもなくやって行けてたのかもしれませんが、正直友達多くても疲れるだけな気がします。(超個人的な意見として)
だったら、狭く深く長く付き合っていける友達を作るほうが大事だなと思い、無理してまでの人との付き合いを辞めました。
愛想笑いもいらないし、行きたいと思わない遊びにも誘われない。
コミュニケーションが得意な人にとっては割となんともない事なのかもしれませんが、結構自分にはその行動がすごい負担でした。それがなくなってからか、スゴイ楽です。本当に付き合いたい友達といい意味で気を遣わずに接することができる。
「将来のことを考えれば嫌いな人と接するのも社会勉強のうちだよ」なんて聞いたこともあります。その意見に関しては僕も全く同じように思いますが、果たしてそれは「友人関係」という枠組みの中に組み込む必要があるでしょうか?僕はないと思います。それは将来、職に就いたときの上司、取引先がそうかも知れないからとか、行きたくもない上司と愛想笑い振りまきながら飲みに行くーとかだと思うのですが、それを唯一の心の拠り所である友人というポジションにストレス源としてわざわざ配置する必要はないです。そこまでして無理に付き合う必要ないと思う。
バイトすればその時のお客さん、正直学校に居たって友達でもなんでもない「コイツ無理だわー」って人間と接さなきゃいけないときだってあるかもしれません。この先の大学とかでね。こんな日常でそういう能力は鍛えて行けばいいかなーなんて思います。甘いですかね....笑
傍から見れば
ここまで読んでくださった方の過半数が「悲しい陰キャの末路だな」なんて笑っているのでしょうかね。それとも「今まで無理な付き合いの友達ばっかりで疲れてた。なんだかハッとした」と思ってくださってる方もいるのでしょうか。
ここまで書いてて結局何が言いたいんだろうなーって思ったのですが、
やはり、友達は無理に集めるもんじゃないです。
僕も高校入りたての頃は、中学からの知り合いが学校に1人もいなくて相当焦りました。このままじゃ3年間生きていけないぞ、なんて毎日思いました。
だから必死になって、興味のないサッカー部の人気モノのギャグで笑ってみたり、何となく話しかけてみたりしてました。
けどそんな無理しなくたって、本当になるべき友達は寄ってきてくれるし、自然と自分から寄っていきます。
8人くらいのグループで「Foooo!」ってやってるのだって、全く否定はしません。その8人が全員負担なく本当の友達と思っているのなら。
だけどもし、そのうちの1人がクラスのカースト気にして毎日しがみついているのなら、家に帰ったらグタッとしてしまうのなら。
そんな救命浮き輪にもならなそうな不安定な関係、維持している必要ないと思います。
でもわかります、その集まりから急に抜けられないのも。すぐじゃなくていいんですよ、徐々に徐々に。クラスが変わったタイミングでもいいし、受験のために塾に行くからって理由でもいい。バイトが忙しくなったからだって良い。グラデーションをつけながら距離を離していくのは割と難しくないと思いますよ。「逃げてる」って言われんなら言わせとけばいいです。
自分の人生、そんな人からの評価で棒に振るのはもったいないです。せっかく与えられた1機の命です。自分の好きなように使いましょうよ。
その集団から抜けて、しばらくは1人かもしれません。でも自分から心閉ざすことなく毎日を過ごしていればきっと出会うべき友達に出会わせてくれます。
結局ね
最終的に申し上げれば、こういう思考が思い出のない高校生活を生んだのかもしれない。でも冒頭でも書いたとおりこの生活を誰かのせいにするつもりもないし、もはや満足しています
環境としては地獄のような高校生活でしたが、その中で本当に長く、長く付き合っていける友達が作れたかな。
だから高校での思い出(文化祭、体育祭)ってより、個人個人としての思い出のほうが多かったかな。ってことで冒頭の文に繋がるわけです。
皆さんそれぞれの。
みなさんにとっての本当の友達は僕みたいに少数かもしれないし、8人位の一生過ごしていけるグループ仲間かもしれない。それは皆さんそれぞれなのです。
それぞれの形で、本当の友達を作っていってもらいたいなーと思います。表面だけの友達なんて、関係維持してるだけ無駄ですよ。
綺麗事言ってんじゃねえって突っ込まれちゃいますかね。笑
たまにはこんなんでもいいでしょ
ではでは。