アメリカ人おじいさんお坊さん
アメリカ人おじいさんお坊さんの畑は、細部まで手をかけられているかんじがしました。
それで、一目見た時、キラキラしているように映ったのだと思います。
ある日、アメリカ人おじいさんお坊さんに、明日畑を手伝ってくれないかと頼まれて、方丈様にしても良いか確認すると、少しなら良いですよと言われたので、時々畑へ向かうようになりました。
しばらくした頃、方丈様に、「畑仕事は楽しいですか」と聞かれたので、「楽しいです」と答えました。
すると、方丈様は少し困ったような、複雑な面持ちになられました。
どうやら、畑仕事ばかりに専念して他の仕事がおろそかになっては困るということらしいのです。
そして、アメリカ人おじいさんお坊さんは、自分が好きなことしかしないので、昔から困っているとのことでした。
「わがままなんですねぇ」と方丈様がおっしゃられた時、私はここでも(お寺でも)こういうジレンマみたいなものが付きまとうのかという残念さと、お寺にもある常識みたいなものを、少しこわく感じました。
私はおじいさんの畑の美しさに感動させてもらいました。その感動から元気ももらいました。今まで見てきた畑とは何かが違うな、きれいだな、と思ったのは、おじいさんがそれだけ手をかけてきたからで、けれど、その時間は、お寺にとっては迷惑なのでしょうか。
なんだかかなしく思いました。
たしかにおじいさんにも、かたくななところはあるかもしれないけれど。
おじいさんは、お坊さんながら、アナーキーというか、どこか周りに屈しない、みたいなところがあって、それはもしかすると、自己中、ということなのかもしれません。
食事や読経はだるそうにちんたらやってきます。(それは腰が痛むからなのですが)
あまり笑いません。
絶対的に音を立ててはいけない禅堂で、ポケットの中のキャンディの袋をカサカサいわせたこともありました。しかも接心(せっしん・七日間坐禅に徹する特別な修行)中でした。
方丈様は、「何年修行やってんだ」とため息をつかれておられました。
喉が乾燥していたので、休憩中にキャンディをなめて、うっかり、袋を捨て忘れたのでしょう。
お寺の中に入れば、帽子はかぶってはいけないことになっています。けれどもおじいさんは冬場、ニット帽で坊主頭を守っておられました。その姿がまたかわいかったりしました。
禅堂の入口でそれを脱いで、下駄箱の上に置いてから、坐禅に向かわれるのですが、いつもその置いてある帽子を見て、心のなかで「帽子かぶってるやん」とつっこむのが好きでした。
寒いですし、お年ですから、仕方ないですよね。
話にきくと、おじいさんは、その昔、バンドマンだったそうです。方丈様も昔は楽器を熱心にされていたのだそうで、通じ合う部分はあるようなのですが、やはり、方丈様に言わせれば、おじいさんは修行が足りないようでした。
自分の好きなことだけをやるのが、修行ではないということでしょうか。
けれど、私はおじいさんの畑が好きでした。おじいさんに畑を、これからもやって欲しいとも思いました。そんな私の想いも、身勝手なのかもしれなくて、
外の世界に居た時も感じたような、複雑さを思い出したのでした。
その年の接心が全て終わって、例年通りおじいさんはアメリカに帰るようでした。
また戻ってきますよね、なんて話を、おそらくしていたのだとおもいます。おじいさんは、わからない、といった表情で、
「アメリカには、大人の責任がアリますカラ」
と言いました。
印象的すぎて、ずっと覚えていることばです。
あれから数年後、コロナが騒ぎになって、その間、おじいさんは来ることが出来なかったと思われますし、大人の責任もありますし、体力のことだってあります。
どうしておられるだろうなぁと、生きていてほしいなぁと、思うのです。
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