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生きるテーマと名前

名前の中にその人の生きるテーマがある

人の名前の文字の中にはその人の生きるテーマがある。
いつだったかそんな話を聞いたことがあります。

それが本当かどうかということではなくて
そういう見方をしたことで
わたし自身自分の名前を大切に思えるようになりました。

「知」

その話を聞いた時に
私のテーマって何だろう?
って考えてみたんです。

わたしがいただいた名前は両親が考えた名前ではなくて
神社で画数を見てもらったというもの。
両親の特別な願いが込められているわけでもないし
正直何の思い入れもなかったんです。

そういう名前であっても
生まれた時にいただいた名前。
そこにテーマがあるといいます。

わたしは学校の勉強ができるほうではなかったんですね
実家も田舎の小さな農家で
両親は広い世界を知るわけでもなく
ただ日々畑仕事をする人
家訓もしつけもなく
両親から生きる上で大切な教えを受けてきたわけでも
なかったんですね。

わたしって「無知」だなと。
大人になってからも
「私って本当に何にも知らないな」
ってよく思っていました。

今も知らないことばかり。
だからせめて興味あることくらいは学びたい
って、いつも思ってそうしてきました。

名前の中に「知」という漢字が入っている。
テーマはそれだと思いました。

神知る

いろいろな学びの中で
タッチケアとマインドフルネスに出会ってから
「感じる」時間
が増えていきました。

それ以前はいつも思考でいっぱいで
不安で満たされていたわたし

タッチケアやマインドフルネスを意識すると
思考が止んで
心に平穏がやってくる

タッチケアの時間は
「感じる」ことで心を満たす大切な時間。

タッチケアを何回も何百回も何千回もやったら
心の平穏が自然に増えていきました。

感じることで
わたしは心のチューニングをしていったんですね。

昨年『古事記と言霊百神』という本を読んでいたら

感じる(神知る)ということ

という一節がありました。

鳥肌がたちました。
生まれた時にいただいた名前に
『神知』
がという漢字がその並び通りにあったから。

『知』から『神知』るへ

その本に出会う以前の私のテーマは
『知る』こと
だったと思います。
自分年表を振り返っても
その通りの生き方をしてきていたと思います。

タッチケアを通じて感じることが増えてきたな
と思っていた頃に

”感じることは神を知ること”
だと知った。

私のテーマが
”知る”から
”神知る” へ
自然に移っていったのかもしれないと思いました。

神とは特定な宗教を示すようなものではなくて
もっと本質的なもの。
人、植物、動物、あらゆるものに宿る神。
あなたの中にも宿るあなた自身の内なる愛

先の書には

言葉は神である

という一節もあります。
日本語というのは

一音一音が神である
と。
日本語を話すわたしたちそのものが
すでに神とともにあると。

それだけでもなんだか
自分を誇らしく思えてきて
嬉しくなりました。

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