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精神世界のジェットコースターは未知

少し前まで予定のない平日は大好きだった。インプットもアウトプットも自由だし、好きなものを食べて生きていた。少しアルコールを入れて気まぐれに外出し、他人の決めた規律に自ら縛られている大人を見下し、風や日光を浴びたり避けたりしながら子供たちの笑い声をBGMに散歩をするのも乙だった。平易なToDoをこなしながら飽きたら昼寝をする、優雅な生活。何故か不安に侵食され始めている。

8月が終われば、退院してから2ヶ月近く経ったことになる。僕は何をしていただろうか。もう犯すはずのない過ちを繰り返しているのでは?徐々にシナプスの回路は修繕快復されている気がする。実感はある。でもきっと及第点には達していない。癖が抜けない。焦ってショック療法に走っては自爆している。バランスが取れない。安定しているという状態がわからない。僕が掴むべき藁はどれだ?どれも泳がないと届かない。選り好みしている時間はない。溺れかけで岸が何方かもよく見えずにいる。流されているのか?堂々巡りしているのか?停滞して腐敗しているのか?

安易にコンビニに入らずスーパーまで足を伸ばしただけで達成感がある。ヒューマニックな安息を得られる。街に出ればたくさんの人が歩いている。数百人の人とすれ違っても僕は誰の顔も見ない。服も、所作も、性別も。ただそこにいる誰かという有象無象の集合体で、僕もその一部として動いているつもりでいる。世の中がどうであろうが人はいて、天と地の狭間で蠢いている。個々の性質はどうでもよくて、ただその中でふらふらと歩けば共同体の片鱗みたいな曖昧な心地良さが味わえる。安っぽくて虚しい。

早朝覚醒が顕著で悩ましい。負のスパイラルを断ち切る習慣が欲しい。僕が見下していた自縛のルールも、リズムを作るのには効果的なのかもしれない。きっと人生にはストレスが必要だ。

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