「基準で世界はがらりと変わる」
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「基準」によって、世界はがらりと変わります。
当たり前か
有り難いか
可能か
不可能か
十分か
不十分か
自分に当てはめる基準
他者に当てはめる基準
物事に当てはめる基準
いずれにせよ
その基準は自分の持ち物
どんな基準なら、幸せだろう?
どのくらいなら、呑み込めるのかな
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自分に当てはめる基準を高くすると
成し遂げる物事の質が上がったり、
量も積み上げられたりして
それに伴い
技術、能力、知識などが上がりやすいです。
しかし、
時に高い基準に手が届かず
自己嫌悪に陥ることもあります。
なにせ基準が高いと大変だから。
一方、自分に当てはめる基準を低くすると
ハードルを越えやすく、
ステップアップしやすいため
ある程度、自己肯定感も高まります。
しかし、
向上心がなければ低きにとどまるかもしれず
また、つまらなくなるかもしれません。
どうでもよくなっちゃうっていう残念な流れ。
だから、
「その日の体力で、環境で、時間で、基準を変える」
これがいいんじゃないかと思っています。
元気なとき、がんばれる環境のとき、そして朝は、
基準を高く掲げて、やれるだけやってみる。
疲れたとき、がんばりようのない環境のとき、そして夜は、
基準はもうほぼ「0(ゼロ)」にして、やったことだけ思い出す。
そんなふうにして、
基準をがらりと変えていくのもありですよね。
まぁ、言うほど簡単に変えられなかったりしますが。
でも、基準は自分の持ち物だから。
変えて変えられないことはない。
他人への基準はどうでしょう。
「内心は高く、しかし、ありのままを受け止める(基準なし)」
というのが個人的な理想。
期待や信頼は、その人の負担にならない程度に伝えつつ。
あるいは、その人と一体となるほど通じ合っているなら
自分と同じ基準を求めるのもありかもしれません。
高度な師弟関係とか。
全国を目指すバスケ部とか。
それにしたって、
臨機応変に変えられる基準がいいような気がしています。
「基準で世界はがらりと変わる」
自分自身を、お互いを、高めつつ、許せるような、
そんな基準で生きていけたらいいですよね。
*PS*
いつもありがとうございますm(__)m
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下のような学習プリントなどを公開中です。
また、下の記事は、勉強法に悩む方へのアドバイスとして書きました。
今回の言葉も、学習支援も、必要な人に届き、前を向いて進む力になったら嬉しいです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました(^^)
あなたに、たくさんのよいことがありますように**