映画「生きる 大川小学校裁判を闘った人たち」
この間、事務所の弁護士3人で小学生と中学生から「インタビュー」を受けた。その中で「尊敬する弁護士」を尋ねる質問があったが、新里先生も鈴木裕美先生も吉岡和弘先生を挙げていた。
映画「生きる 大川小学校裁判を闘った人たち」の最初の登場人物は、その吉岡先生だ。
映画の冒頭。震災関連の映像であれば必ず使われる、津波そのものの映像は出てこない。
津波の被害を伝えるのは原告遺族の陳述書だ。親たちは見つからない自分の子どもを探す。遺体が見つかった親に、他の親が「よかったな」と声を掛ける。子どもが死んでいるのに「良かったな」と声を掛ける修羅場(実際に行方不明のままの子どもが4人いる)。
泥まみれになった娘の遺体を清めるために、泥の入った目をなめ、鼻をすするしか母としてできることは無かったとの文章は、ただただ「地獄」としか表現ができない、イメージすらしたくないものを突きつけてくる。
そこまでの地獄を見た遺族は、それでも闘わなければならなかった。それが「行政」だった。映画は、遺族が撮っていた、何度にも渡る説明会の映像がしばらく続く。演出もカメラワークも無い映像は、行政(市・市教委)の「言葉の足りなさ」あるいは「余分さ」をそのまま見せてくる。求める情報を出さず、残すべき資料は捨て、その説明はできない。遺族が追及するやり取りは緊迫し、見る側も緊張を強いられる。石巻市長が「災害の宿命だ」との発言をしたことなども含め、説明会でのやり取りの概要については報道もされていたが、こうやって当時のそのままの映像を見ることで遺族の感じた苛立ちを追体験することになる。
文科省主導で設置した検証委員会もまた、同じ轍を踏む。文科省にも委員にも、見れば名だたる名前が並んでいる(例えば、文科省のかは官房長は前川喜平氏だし、検証委員会の委員長は室崎益輝氏だ)。しかし、遺族の求めるところには答えてはくれなかった。
市も市教委も文科省も、言いたいことはあるかもしれない。ただ、どうしても「保身」が見えてしまうのだ。自分達を守ろうとし、全てを出す覚悟が無い。それが提訴へとつながっていったのではないか。この「失敗」もまた、検証をすべき事柄だと思う。
遺族から提訴に向けて相談を受けた吉岡先生の心境を、同じ弁護士として想像をしてみる。負けるわけにはいかない、しかし本当に勝てるのか、勝てなければ何が残るのか。どうだったかは分からない。ただ吉岡先生は弱気に負けずに引き受けた。そして、相棒に齋藤雅弘先生を選んだ。
吉岡先生の取った戦い方は明確だ。津波であらゆる資料が流された中、遺族が子ども達の代理人となって闘うことを示したのだ。映画でもその一端を見ることができる。学校から山に逃げることが可能だったことを検証するため、遺族が雨の中、ルートを変えて山を駆け上る様子を撮影したり、仙台高裁が行った現場検証のために、そこにあったはずの物の立て札を立て、ビニールロープを張ったり。こういう作業を、代理人と遺族が共に取り組んだのだ。
そこで信頼が培われたことは、映画の最後、吉岡先生が遺族を訪ねていくところで垣間見ることができる。家族を皆亡くしたけれど淡々としていたねという、どこか際どく聞こえる質問も、それができる関係をその質問を通して見ることができた。
裁判は1審、控訴審ともに勝訴。しかし、決して分かりやすくカタルシスを与えるような演出は無い。行政の組織的過失を認める画期的な控訴審判決、そして最高裁での判決確定も比較的静かに伝えていく。
むしろ、映画はその後の更なる苦難を伝えてくる。遺族に対する誹謗中傷(それを超えるような脅迫)。震災遺構となった大川小学校での、問題の実相を伝えないパネル展示。
それでも私は、最高裁での判決確定後のパネルディスカッションでの米村滋人教授が力を込めていった、この判決が無ければ何も残らなかった、この判決は震災で亡くなった1万7000人を救うものだという言葉に希望を見る。
だからこそ、学校は生徒の安全を確保しなければならないとする大川小学校控訴審判決が、もっと読まれなければならないのだろうと思う。
なんとも言えない宿題を持たされ、映画館を出てきた。