
忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.5~ 奇跡の出逢い
2月1日、私の担当をしてくれていた看護学生さんと話をした。
看護学生さん:「作業療法学科の学生さんなんですか?」
私:「そうですよ。でも、もう作業療法士にはなれないかな・・・」
※この時、脚を失い作業療法士になることは不可能と思っていました。
自分には、何が出来るんだろう。何がやりたいんだろうと思っていました。
看護学生さん:
「ここの病院の作業療法士の先生で義足の人がいるんですよ」
私:『????????????????????』「ま じ で ?」
看護学生さん:「本当ですよ」
私:「・・・」
2月1日(日)
車いすにも移れるようになり。
17時30分から18時30分の1時間くらい病院内を散歩する。
今までは、ベッド上しかなかった生活空間が、いっきに拡がった。
『自由になれた気がした、ついたちの夜~』
2月2日(月)
奇跡の出逢いをする。
車いすに移れるようになった私は、自由を手に入れました。
自由を手に入れて、まず、行きたかったところは、
リハビリ室でした。
リハビリ室に行き、受付で「義足の先生はいますか?」と聞くと、
「少々お待ちください」と。
『いるんだ』『まじで、いるんだ』
余談ですが、作業療法士の先生を待っている間に、ひとつ小さな奇跡がありました。
リハ室の壁に『このリハビリ室の床は、大谷体育館を解体した際、体育館の床を再利用したものです』との文字が・・・
私は、小・中学校と9年間、剣道を習っていました。
その体育館で、剣道の大会や昇段試験などが行われていて、何度も何度も試合をした会場だったのです。
ということは、このリハビリ室の床は、二本の脚で踏んだことがある床なんだ・・・
今度は、義足の練習をするために、残った脚と義足の2本の脚で歩くんだと、
ちょっと運命的なものを感じました。
本題に戻ります。
数分後、その作業療法士の先生が私の前に現れます。
希望などに満ちると、
目の前が明るくなるなどの表現を使いますが、
まさにそれでした。
私と義足の作業療法士の先生しかいない、
真っ白な空間にいる感覚になりました。
ただただ広く真っ白で明るい世界に、
私たち二人しかいない世界です。
なぜか、涙があふれ出ていました。
作業療法士になる夢を諦めていた私に、
義足で作業療法士として働いている先生が目の前にいるということは、
『なれる。作業療法士になれる』『義足で作業療法士になっている人がいるなら、努力の量は違うかもしれないけど、作業療法士になることが出来る』
と思った瞬間、すべての悲しみや苦しみが消えていました。
前だけ向いて歩いて行けると思った瞬間でした。
自分にとってつらい時は、
いい方向に進むための分岐点になる。
どっちの道、どの道を選んでも、
人生は、いい方向に行くよ。
そのために、その時必要な人に巡り合うようになっているよ。
それが、自分の人生にとっての分岐点。
しょたを