
忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.3~ 告知後から切断まで(前半)
正直、「元のようには、戻らない」と言われても、
自分の中では、そこまでピンと来ていませんでした。
この時は、自分の脚がvol.2であげた写真のようになっているなんて想像もしていませんでした。
脚の痛みは、もちろんありましたが、
それ以上に左鎖骨骨折と頚部の痛みの方が気になっていました。
たくさんの友人もお見舞いに駆けつけてくれて、
日中は笑顔で過ごせていました。
当時は、今みたいにインターネットが普及していたわけではなかったので、
とにかく暇で、
漫画を読んだり、
パソコンでDVD(イニシャルD)を観たりしていました。
※今この内容を書きながら思ったのですが、スポーツカーで事故に遭って、
峠を攻める系のDVDを観るって・・・
ベッドから車いすへの移乗介助があれば、トイレにも行けていました。
ただ、入浴時に足の洗浄をする際は、なぜか麻酔で眠らされてから行われていました。
(たぶん、痛みが尋常じゃないためだと思います。)
また、日にちが経つにつれて、良くなるどころかどんどん状態は悪化していきました。
脚が壊死し始めていたのです。
1月のいつかは、覚えていませんが、
デブリードマン(デブリードマンとは、感染・壊死組織を除去し、創を清浄化することで他の組織への影響を防ぐ外科処置のこと。)を行われました。
この頃には、ご飯もあまり入らなくなり、ヘモグロビンの値も1桁になっていて、
いつ貧血になってもおかしくない状態でした。
(ちなみに、血液中のヘモグロビンの正常な値は、成人男性の場合は血液1dl中に13.0~16.6g)
トイレに行くのも、止められるようになっていましたが、
やっぱり排泄(大便)は、トイレでしたいものです。
当時のお付き合いしていた彼女が、お見舞いに来ていたこともあり、
颯爽とナースコールを押し、
かっこよく「トイレに行ってくるけん」と彼女に伝え
看護師さんにトイレに連れて行ってもらいました。
そこで、人生で初めての体験をすることになります。
トイレに座って排泄をしていると、
急に
目の前が、ぐるぐると回り始めました。
『やばいと思い、遠のく意識の中で、L字手すりに必死にしがみつき、最後の力を振り絞り、コールボタンを押し、意識を失いました』
かっこよく「トイレに行ってくるけん」と言って、出ていった私は、ストレッチャーでヘロヘロになった状態で、自室に戻ってきました。
今考えれば、爆笑もんですよね。
私は、あきらめの悪い男です。
あの日は、調子が悪かったんだと自分に言い聞かせ、
翌日、再度
かっこよく、颯爽とトイレに行きます。
結果は、皆様のご想像通りです。
ヘロヘロストレッチャー帰還でございます。
この後くらいから、
状態がさらに悪化し、
脚の洗浄時にもより強い麻酔薬を使用することになりました。
その際に、担当医師から言われたのは、
「この薬は矢野君の深層心理が見えると思うよ。マトリックスの世界だと思うよ。」・・・
ここから書く内容(私の深層心理)はこの時実際に体験した事実です。
薬を点滴より投与され、眠りにつきます。
すると、ベッドがトロッコに変わり、線路の上を進んでいきます。
まずトロッコが止まったところでは、
5体くらいのティンカーベルが
「ここは、汚れを見つけるところ」と言いながら、
星がついたステッキを脚に振りかけます。
またトロッコが走り始めます。
次に止まったところでは、
5頭くらいの、くまのプーさんが、
「ここは汚れを洗い流すところ」と言い、
はちみつが入っていたであろう壺から、水をバシャバシャと脚にかけます。
その後、トロッコはものすごいスピードで線路を進み、
目が覚めた時には、元の病室のベッドの上にいました。
正直、びっくりしたのがディズニーランドにも行ったことがなく、
ディズニー映画もほとんど観たことのない私の深層心理は、
思いっきり『メルヘンの世界』だったことです。
その後も状態はどんどん悪化していきます。
この頃には、もしかしたら、このままだと死ぬかもしれないし、
死ななくても
この経験がのちに作業療法士になった際に絶対役に立つはず
と思うようになり、
何かを残しておこうと、事故発生から21日後の1月19日より日記をつけ始めました。
Vol.3 後編へ続く