忘れもしない日 ~人生のターニングポイントvol.2~ 事故後から告知まで
写真を載せていますが、グロイ画像になります。
超超超超閲覧注意です。
2004年1月2日、病室から見えた窓の外はものすごく青かったという記憶があります。
両親と彼女が病室に来てくれたのを覚えています。
右脚は、包帯がまかれ、すねの部分からは何やら金属が出て固定されています。
唯一見える部分は、足首から先
その足首から先は、今にも破裂しそうなくらい、パンパンに腫れあがっていました。
この時、思ったことは、
『今のクラスの友達たち(作業療法学科2期生クラス)と一緒に4年生に上がれるんやろうか?』
『評価実習が2月からあるけど、間に合うんやろうか?』・・・
間に合うように頑張ろう・・・
しかし、私の担当の医師からの言葉に心が苦しく、
そして、何とも言えない感情になったのを覚えています。
(別に、医師が悪いわけではなく、単に私の気持ちがノックアウトされた)
医師からは、「今考えられる手段としては、二つあります。」
「一つ目は、すねの肉がえぐれて無い状態なので、広背筋から肉を持ってきて移植する方法(広背筋皮弁)。
しかし、移植する範囲が広く、広背筋でも覆えない可能性もある。もし、広背筋皮弁が出来たとしても、今までの脚のようには機能しない、
ただただ木の棒がついているような状態になる。」
「二つ目は、切断する方法。」
この二つです。
私の頭は、真っ白状態。
木の棒のような脚になる?切断?
そんなことより
『2月の実習に間に合わんやん。』
『今のクラスで卒業できんやん。』
今考えれば「そっちかーい」とツッコミたくなりますが、当時の私にとっては、それくらい今のクラスで卒業したかったのだと思います。
なんだか悔しくて悔しくて、その日の夜中に、ただただ涙が出ていました。
※切断した病院のカルテに写真があったので、こそっと携帯で撮っていたものです。