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2024年正月のPNKT日誌 5

彗星のように現れたこのトリックスターとは「ブリ」であった。

なぜ「ブリ」なのか?詳細は省略するが、この瞬間に我々きょうだいとブリとの抗い難い縁が結ばれてしまったようだ。

果たして姉弟の正月のミッションの中に突如として差し込まれた、「ブリをお迎えする」という一大イベントに小一時間以上を費やしてしまうこととなった。

倉敷美観地区のある辺りよりもさらに西へと車を走らせ、さらにしばらくの待ち時間の後、めでたくも無事にブリをお迎えし終え、岡山市東区に戻ろうという頃には、例年の自分がいろいろと片付けられずにダラダラしながら帰省する時とたいして変わらない時間帯となっていた。何のために早く大阪を出たのだ。

それでも今回は何が違うかと言えば、車の中にブリ(と大根と白菜)があることと、姉に文句を言われなかったことだ。姉の口を封じるとはブリはかくも霊験あらたかなものであったか。

結局その日のうちにやっておきたかったいくつかのことはうす暗くなってからでは無理なので、沖田神社への参拝とホームセンターへ行くこと、墓参り用の花などを今年のうちには閉店、更地になってしまうらしい天満屋ハピータウンで買うことくらいしかできなかった。

沖田神社は同じ敷地に道通宮という別の神社が併設されている。

道通宮は蛇の神様なので、卵をお供えするのが特徴的だ。

神社だが献灯用のロウソクと線香も用意していて、子供のときには父親に頭が良くなるといって煙をかけられ頭が煙臭くなったものだった。

沖田神社の縁起は公式サイトに説明があるので興味のある方はご覧いただくと良い。
http://www.okita-shine.com/index2.html

岡山県の東南部は江戸時代より海を大規模な干拓事業によって水田に変えてきた経緯がある。

沖田神社はまさにそうしてできた新田の産土神たるべく、天照大御神、素戔嗚命をはじめとした神々を御祭神として元禄年間に創設された神社である。ちなみに沖田神社の神宣を下したのは当時の神祇官である吉田殿で、すでに白川伯王家ではなかったようだ。

また最後の潮止め作業に際して人柱となって身を捧げた「おきた姫」が祀られており、平成になってからは「おきた姫」の神殿も建立された。こちらの御祭神は豊受大神である。

それだけではなく摂社・末社の類も数多く、住吉大社、伊勢神宮など有名どころは一通り揃っているのではないだろうか。

興味深いのは「胸形神社」で、これは「宗像神社」をこのように表記している。

子どもの時にはそんな風には感じなかったが、おそらく神職が代替わりし、拝殿が建て替えられたあたりからだろうか、頒布しているお守りやおみくじの種類が一気に増えた。

なにせ、拝殿は階段を上がって二階部分にあり、一回部分はまるまるお守りや破魔矢、熊手などが取り揃えられている。

従来からある頒布所はそのまま営業しているから、大規模な売り場面積拡大に出たわけだ。

まあ、これだけよく取り揃えたな、というくらいの種類があって選ぶ方も迷ってしまう。リラックマなどのキャラクターものまであったが、きっとご利益はどれも同じものだろう。

おみくじも、引いた番号に合うくじを自分で取るという最も古典的なものから、パワーストーンといっしょになっているものとか、鬼太郎のキャラクターものなど、こちらも相当な種類だ。

ただ、最近は硬貨を投入すると自動でおみくじが出てくる自販機タイプのものはなくなっている。

このようにお守り・おみくじの種類の豊富さでは日本国内でも群を抜いていることからテレビで紹介され、全国的にも知られるようになったそうだ。

こじんまりとしながらも何かともりだくさんな神社だが、全国的な知名度を得る前から地元では多くの人が参拝する神社である。

自分にとっては子供の時から父親に連れられて参拝していた馴染みの神社で、毎年商売繁盛の御祈祷を受けていた。恐らく父親は先代だか誰かからこの習慣を受け継いだものだろう。祝詞の意味などさっぱりわからない子供の頃の自分には退屈で仕方のない時間だったが。

実は自分の実家により関わりのある神社と言えば、両親のルーツである牛窓の産土神かどうかは定かではないが、鹿忍神社という立派な神社がある。母親の名前はこの神社で天照大御神の講(神明講というのだろうか?)が行われた日に生まれたことにちなんで付けられた。

牛窓へ行く途中には元備前国一宮という社格の高い安仁神社もあるが、初詣以外のタイミングであっても、どちらの神社に連れて行かれたこともなかった。

父親は生前、自分の親の話すら語ろうとしなかったくらいだから、自分のルーツや育った環境を子供に伝えようという気があまりなかったのかも知れない。自分も父にはあまり祖父母のことを尋ねたりしなかったと思う。

父の死後わずかに知り得たごく断片的な情報からは、おぼろげながら複雑な家族関係がうかがわれ、そこから父の心情がなんとなく見え隠れするような気がした。

それを鑑みるに、自分が生前の父親との関わりの中で感じていたことが、どうやら父の祖父に対する思いをそのまま鏡像のように自分が父に対して投げかけていたのではないかと思われた。

父が家族には見せなかった面として、晩年にはひとりで安仁神社主催のカラオケ大会に参加していたらしく、半ばヨレヨレとなった晩年の父親の歌声が録音されているカセットテープが残っている。そんな情報までここに詰め込まれては父もいい迷惑だろう。

帰宅後は、もう何もせずに寝ると二人で諦めて、きょうだい揃って近くの居酒屋に行き、思い切り飲み食いをした。

(つづく)

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