おたんこ茄子なーすについて
初めての投稿なので、まずは、自己紹介を。
と言いつつ、何をどう書けばいいのか…
なので、看護師を目指したきっかけ(?)を、今日は書きます。
『看護師』という職業を意識するきっかけとなったのは、おそらく小学5年生の時だったと思います。
当時、私はクラスメイトからいじめを受けていました。ある日から皆んなの態度がよそよそしくなり、そして無視されるようになりました。
原因は、私にも何かあったのでしょうね。でも覚えていません。まぁ、いじめとはそんなものです。明確な理由などなかったと思います。
学校には行きたくありませんでした。
でも、行くのをやめたら負けを認めるようで嫌だった。
もはや、意地でした。
けれど、そんなふうに頑張っていた私も、ついに心が折れる出来事が起きてしまいました。
それは、入浴時、髪を洗っていたときのこと。
ある部分だけ、妙につるつるするのです。
「あれ?」て思って、お風呂から上がったあと鏡で見てみると、まさしく10円玉ほどのハゲができていました。
「これは!!」
これまで自分自身を支えていたものが、がらがらと音を立てて崩れていくようでした。
「もう、頑張れない・・・」
それからの私は、ただ死ぬことばかりを考えるようになりました。
円形脱毛症を見つけてしばらく経った頃、道徳の授業である文章を読みました。
内容は、主人公がとても仲の良かった友人とけんかしてしまい、仲直りできないまま突然その友人が転校してしまう、というところから始まりました。
そして、その1年後、ある展覧会で『ともだち』というタイトルの版画が賞を獲ります。作者は、けんか別れしたままの友人でした。
そこで、主人公は、友人が“進行性筋ジストロフィー”で既に車椅子生活となり、手も動かしにくくなってきていること。転校したのも病気の治療のためだった、ということを知るのです。
だいぶ昔に読んだので細かい内容はあまり覚えていないのですが、ざっとあらすじはこんな感じです。
毎日、「死にたい」と思いながら生活していた私にとって、“死”というものが初めて形になって目の前に現れた瞬間でした。
最も、筋ジストロフィーは徐々に筋力が低下していくため、発症してすぐ亡くなってしまう疾患ではありません。
ですが、10歳の私にとって、少しずつ身体が動かなくなっていくことに言いようのない恐怖を覚え、そして、その恐怖と同じ年頃の子どもが向き合っていることは大きな衝撃でした。
何事もなければ、明日も明後日も、1年後も5年後も元気に生きていけるであろう私。
一方で、“死”が目前に迫っていることを確実に感じながら、今を生きている人たちがいる。
「私は、死んではいけない。」
そう、思いました。
病気で苦しんでいる人たちのために何かしたい、そういう仕事に就きたい。
将来について漠然とではありますが、この時の思いが、私が看護の道に進むきっかけになったことは間違いありません。
その後、小学校から中学校、高校と進む中で将来なりたい職業もいろいろ変遷していきますが、結局、私は看護師になることに決めました。
看護師になるまで。そして、なってから。
いろんなことがあり、そこで思うこともたくさんありました。
その辺りのことも、追々書いていけたらな、と思っています。
ひとまず、今日はここまで。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
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