背中を押す
生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
必ず、訪れる死から目を背けず、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた在宅で出会った方たちと看護師のお話です。
Cさんは90代の男性、急性骨髄性白血病の診断から1年の間に、時々熱が出て入退院を繰り返していました。
病院では不穏状態という落ち着かない様子があって、奥さんが寝泊まりしました。
病状は一向に落ち着かないまま、「家に帰りたい」という本人の希望にどう寄り添うか家族は迷いました。
Cさんの奥さんはヘルパー経験があって、介護保険を利用していませんでした。入院前は、奥さんが付き添って、かかりつけ医へ通院できていましたが、今は、寝たきりになって生活全てに介助が必要です。
Cさんの検査データは良くなる気配がなく、奥さんは現状で家に帰ったら、自分の見落としで更に悪くしてしまうのではないかと悩んでいました。
確かに病院にいればモニターを付けて、医師や看護師が一日に何度か様子をみて、検査を受けて、点滴治療、酸素投与などが行われる場合もあります。
家では家族が顔色や反応を主にみていきます。私たち訪問看護師は、訪問した時の血圧や脈拍などの様子と、家族から聞いた情報から状態を判断します。
点滴は医師が必要とすれば在宅でも行います。でも、必要最低限の量です。その理由は点滴をすることで処理しきれない水が体に溜まって、息が苦しくなったり、痰が増えたりすることがあるからです。
点滴は、時によって弱っている体には負担なのです。
Cさんの体は、治療の効果が得られない状態でした。
家族は、Cさんの「家に帰りたい」という想いを優先して退院するのか、望みをかけて治療ができる体制、つまり入院を続けるかの答えを出さなければいけませんでした。
背中を押してくれたのは、繰り返し病院の退院支援看護師に話を聞いて、具体的な在宅療養のイメージができたことでした。
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Cさんの家は古い日本家屋、奥さんと二人暮らしで、同じ敷地に息子さん家族の家がありました。他県にも子供さん家族がいて、市内には娘さん家族も住んでいました。
家の中には先祖の写真や、地域に貢献したCさんの表彰状がたくさんありました。
退院日は、病院からの情報を聞いて、かかりつけ医が往診しました。
退院日の今日、最後の時を迎えることも考えられる、それだけ厳しい状態で帰ってきたということです。
奥さんは、退院前に在宅(家)で必要な医療的な指導も受けて覚えてくれました。帰ってきてすぐから血液混じりの痰が出ていて、在宅用の吸引機が活躍しました。
訪問看護師がみると、肺の音には左右差がありました。出し切れない痰が肺にあることが予測できました。家で対処できる方法として、痰を出しやすい姿勢を奥さんに伝えて、皆で気を付けるようにしました。
口の中は乾燥していましたが、奥さんや娘さん、長男のお嫁さんがマウスケアジェルを使って、きれいにしてくれました。
こうして、一人一人が協力しようと力を出して、家族総出の介護体制となりました。
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食事はできなくなって、アイスクリームを少し口に入れ、スポンジで水を含ませる方法をとりました。
反応が少なくなり、看取りの説明を聞いた奥さんは「家で最後を迎えたい本人の想いを叶えてあげたい」と言いました。
そのような説明の後でも、状態には波があって、簡単な協力動作やジェスチャー、口の動きが出て反応が良い日がありました。
家族は、Cさんの様子に一喜一憂しました。
ところが数日後に説明の通り、足の膝から足先が紫に近い色になって、呼吸に変化が出て、Cさんは天に召されました。
奥さんを中心に、家族の皆さんがCさんに手を差し伸べた日々は終わりました。
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後日、グリーフケアのためケアマネと看護師2人で伺いました。
グリーフケアとは、遺族の死別後の悲嘆の援助のことです。
訪問看護師は、最期に向かう日々を一緒に過ごした者の一人として、話を伺います。Cさんや家族の頑張りを振り返る時間になります。
遺影を前に、遺族と話をすると亡くなった方が聞いてくれているように思うので、なるべく納骨前に訪問するようにします。
奥さんはCさんの遺影を前に「あの時、病院で退院支援の〇〇さんに話を聞いてもらって、奥さんならできる。大丈夫。と言ってもらったから帰って来られた。家で最期を迎えられて本当に良かった」と在宅(家)療養を決めた時のことを話してくれました。
聞いた私たち在宅スタッフは心が温かく嬉しくなりました。
病院の退院支援看護師が在宅療養のメリットデメリットわかっていて、伝わるように説明してくれ、家族が選べるように関わってくれたから、Cさんの希望は実現したということだからです。
事務所に戻って、病院に電話を入れました。
退院支援看護師に奥さんの話をそのまま伝え、私たち訪問看護師からのお礼の気持ちも伝えました。
迷いに直面した人が自ら選べるように、背中を押す言葉を伝えられる人の存在は、大きな力になりました。