【今週の気づき】余計なこと
「蛇足」
よけいなもの。あっても役にたたないもの。むだ。不要。
「薮蛇(やぶへび)」
藪をつついて蛇を出す、を略した語で、余計なことをして状況を悪くする、しなくてもよいことをして危難に遭うことなどを意味する言い回し。
これらの言葉にあるように「余計なこと」というのは良くないものとして使われる。無い方がいいもの。取り除いた方がいいもの。というのが一般的な認識だろう。
一方で余計なことをすべて取り除いてしまったら、それはそれで面白みのない世の中になる気もするし、どこからを余計とみなすかは人それぞれでもある。余計なことというのはどういうものか。中華屋でご飯を食べながら考えてみた。
中華屋さんでの話
水曜の夕方、 思いつきでいつもと違う行動をしてみたくなり、近所のイオンに夕飯を食べに行った。イオンのフードコートに行くのは一人で暮らすようになってからは初めてだ(今は奥さんと子供は東京で暮らしている)。2年ぶりくらいだろうか。よく子供とここでご飯を食べた。懐かしさと寂しさからセンチメンタルな気持ちが 顔を出す。
フードコートの隅には中華屋さんがある。フードコートとは別の独立した店舗の中華屋さんだ。 省エネのためか店内はどこか薄暗い。 見るからに人が入ってなさそうな雰囲気がある。入り口にはたくさんのメニュー表が並べてあり、どうやらお惣菜も売っているようだ。透明のプラスチック容器に入れられたおかずやチャーハンなどが並べられていて、どれもおいしそうである。そこで、ふとお惣菜 の下の張り紙に目が行く。
「まいにちある」
きっとお惣菜が「毎日ある」 ということだろうけど、ちょっとした違和感に興味がそそられる。また入り口から中を覗くと「波多産」と書かれたスイカが何玉か売られている。
「ちゃんとやっていけているのだろうか」と余計な心配をする。ちょっとした不安もあったが、入り口のお惣菜がおいしそうだったので入ることにする。中に入ると店員の女性が席へ 案内してくれた。
メニューがたくさんあり迷ったが、チンジャオロース定食を注文する。店員さんが厨房に注文を伝達する声が響く。店内を見渡すとスイカだけでなく外国の食材のようなものも売っていた。少し待ってチンジャオロース定食が運ばれてきた。
チンジャオロース、唐揚げと千切りキャベツ、ごはん、スープ、お漬物、杏仁豆腐。「ご飯はおかわりできる」というが、もともと全体的に量が多い。味も悪くない。これで税抜き770円であればアリだと思いながら食べる。お客さんがいないのは平日のせいか、コロナのせいか、店の雰囲気のせいか。ふとまた余計な心配をする。
余計なこととは
うまい、はやい、やすい、きれい。これらは飲食店で良いとされる要素だ。
これらを実現するために、チェーン店では余計なことを削り効率化している。でも余計なことがないから面白味もない。
一方、この中華屋には余計なものが多い。「まいにちある」という張り紙。なぜか売っているスイカや外国の食材。やたらと多いメニュー。余計なもの がお店の特徴を作っている。これを良いところと捉えるか悪いところと捉えるかはお客さんの好みの問題だ。
考えてみると人間は余計なことをやりたがる。 余計なことを言って場を和ませる人。余計な動きで笑いを取る人。余計なものをデスクに置く人。余計に資料を凝って作る人。余計なメールを送る人。
余計なことにその人らしさがでるものだ。 多くの人にとって「余計」なことでも、ごく一部の人にとっては「助かる」ものや「面白い」ものになることもある。余計な一言で腹を立てることもあれば、余計な一言に救われることだってあるものだ。余計なことを削るのではなく、役立てる方法を考えたい。僕は今まさにその方法を模索中だ。
お会計で
会計のとき、センチメンタルな気持ちがそうさせたのか「ありがとうございます。おいしかったです」と余計に丁寧に伝えた。
店員さんは少し笑い「また来てください」と言う。おつりを受け取り、店をあとにする。
車に乗り、「ちょっと余計だったかな」と少し後悔する。
僕は「また来てください」という余計な一言に弱いのだ。
きっとまた近いうちに行くことになるのだろう。
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