起業はツラいよ日記 #67
むかしは35歳が転職する限界年齢だと言われていた。
それが今や人手不足も相まって転職市場は賑わっている。40代や50代をターゲットにした転職市場も生まれたのは人材の流動性がいよいよ高まったということなのだろう。
さてさて、「人生に遅すぎることはない」という言葉を耳にしたことはないだろうか。勉強でも趣味でも仕事でも、何歳からでも始めていいんだよと、一歩前に踏み出すことが出来ない人の背中をソッと押してあげるような心優しい言葉のように聞こえる。聞こえる気がするよね。
しかし本当に何歳から始めても良いのだろうか?
こういう一見して優しい言葉ってどうも怪しいんだよ。
20代であれば甘くみてもらえることも、40代では厳しく問われる。
これは世の中における厳然たる事実だ。
昔わたしが勤めていた広告会社に年上(当時35歳くらい)の男性(仮にAさんとしよう)が転職してきた。たしかコンサルティングファームからの転職だった気がする。彼は賢い人ではあったが、広告業界の知識はほぼ皆無であった。例えば、テレビスポットを出稿する広告主があったとしよう。広告主であるクライアントに対して「線引き表」と呼ばれる、どの放送局で・何時何分に・どの番組で・どのCM素材が放送されるかが記載されたものがある。線引き表の読み方は広告会社の基礎中の基礎であるから新卒入社2〜3年目であれば誰でも知っている。(新入社員研修でもやる)しかし、広告会社でなければどれだけ賢かろうが読み方は知らない。
転職してきたばかりのAさんは当然「線引き表」の読み方なんて知らない。しかし、会社の人たちはAさんに甘くないのだ。これはAさんが嫌われていたとか、性格が悪いとか彼に原因があるわけではない。「何でそんなことも知らないのか」「もう30代なんでしょ」と、おそらくある一定の社会人経験があることが人に厳しさを発揮させるスイッチになるようだ。
新卒ペーペーの奴も厳しい。お前だってこの前まで知らなかっただろうが。そんなことも棚に上げて厳しく接してしまう。新卒がAさんにそんな態度をとるのは上司や先輩のそういう背中を見てきたからだと思っている。だから、その愚かな新卒だけが悪いわけではない。
社内がそんなだからAさんは頑張っていた。慣れない業界で働きつつ、みんな忙しいから懇切丁寧に教える時間も無いんだよね。社内の研修資料とかを読みながら頑張っていた。そして、1年後に辞めていった。
この事実からは目を背けられない。
広告会社での仕事がAさんのやりたいことだったのかは分からない。聞けずじまいだった。もし彼のやりたいことだったのであれば、わたしを含め周囲の人たちはその気持ちを持続させてあげることができなかった。正直なところ、何歳からでも挑戦できるという言説は甘美な誘惑、罠でしかないように思える。
いまわたしはAさんの立場にある
正直なところ、わたしはその辺の感覚がバグっているので何歳からでも新しいことを始めても良いと思っている。本音だ。どんどん挑戦すればいい。「やりながら学べばいいではないか」というスタンスである。それも良し悪しの両面あるので手放しで肯定出来ないが。そして今わたしは41歳である。そんな年齢になって会社を辞め出版社を立ち上げるという無謀極まりないことをした。しかも業界未経験である。本作りの何たるかを会社で学んだこともなく、先輩諸氏から「校正が甘い」と叱咤激励を受ける日々だ。まぁ、ツラいことも多い。だってこのタイトル『起業はツラいよ日記』だし。
ここで辞めたらわたしはAさんと同じ道を辿る。
なんかAさんを反面教師にしてるみたいで心苦しいな。
でもさ、新しいことにチャレンジしたい人を何人も何人も生み出していかないと日本は終わるって、偉い人とか頭良い人たちがむかしから言ってましたよね?でも、これは”出る杭は打たれる”的な話でもなくて、単に新しいことに挑戦した人を誰もサポートしなかった、ただそれだけのことで。
そう考えると、きっと多くの人が新しいことにチャレンジすることを諦めていったに違いない。新しいことに挑戦せずに死んでいった屍がそこかしこに転がってるだろう。
業界のルールとか、歴史とか、そういうものがあるのは分かっている。ずっと同じ業界にいればルールに詳しくなるのは当然だよ。わたしは新しい挑戦をする人と共にありたい。だから、いまここで自分が負けてはならないと思う。サントリーの前身である寿屋が発行していた『洋酒天国』というPR誌について調べている。というより、開高健や山口瞳がいた頃の寿屋宣伝部について調べている。サントリー創業者の鳥井信治郎はこう言ったという。
やってみることが大事。そして、それに伴走してくれる人ももっと大事。だから、そうだな。わたしならこう言いたいな。「一緒にやろうよ」って。