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起業はツラいよ日記 #75

広告業界にいると様々な逸話を耳にするのだがその中でも特に有名な話がある。

日本広告史に最初に名を残した天才は、平賀源内ではないかと思います。

『広告大入門 増補改訂版 広告批評編』

ちなみに、平賀源内という人は、土用の丑の日にうなぎを食べると、一年中丈夫でいられるというウソを、日本中に広めた人とも言われています。近所にハヤらないうなぎ屋があって、ハヤらないから広告をする金もない。そのうなぎ屋の亭主に「先生、なんとか助けてください」と頼まれた源内が、「よし、お前の親類縁者を総動員して、土用の丑の日にうなぎを食べると一年中丈夫でいられるという噂を、江戸八百八町にバラまいて走れ」と、知恵を授けるんですね。

『広告大入門 増補改訂版 広告批評編』

天野祐吉は同書において”ウソ“と表現したがその後の文章で「それは100%でたらめかというと、そうでもない。うなぎはカロリーも高いし、食べるとなんとなく元気が出てくるような感じがする。そんなイメージをしっかり作っているところがうまいと思います。」と述べている。

これは現代でいう″クチコミ"である。なんだか、広告に関心のない人からすれば要らぬトリビアのようにしか思えないかもしれないが、先日ある映画を観た後はそれがどうも些細なことではなさそうだと思い始めたのだ。

映画『福田村事件』

既に多くの劇場では公開終了してしまっているが一部映画館ではまだ上映しているのでスクリーンでご覧になりたい方は同サイトの劇場情報を参照されたい。ちなみにサブスクであればU-NEXT、あるいはDVD等もある。

同事件の詳細については上記の公式サイトを各自ご覧になってもらうとして、本作の主要なテーマに”群衆の愚かさ”があることを先に指摘しておきたい。その上で特に圧倒的スピードで展開する後半部分で印象的な働きをする二人の登場人物に注目したいと思う。

長谷川秀吉(役:水道橋博士)

在郷軍人会の分会長を務めており軍の威光を嵩にきたような小役人として描かれる長谷川秀吉。彼の一挙手一投足は劇中で重要な要素として機能している。関東大震災直後の混乱時には冷静な話し合いを求める村長を差し置き、内務省の通達をもとに自警団組織を高らかに宣言する場面がある。

それはまるで在郷軍人会の活躍の場を手繰り寄せるため、内心では有事を待ち望んでいたかのようでもある。「村を守る」と執拗に繰り返すこの男は、朝鮮人を殺すことこそが村を守ることだと信じ切っている。在郷軍人会の同僚に「腰が抜けたか」と挑発され、勝手に盛り上がり、そして悲劇を招き寄せてしまうのだ。

長谷川が口にしたこと

いまさら何を言っているんだ。自警団さこさえて対処しろいうたのは警察だっぺ。お上だっぺ。違うか?お国だっぺ。わしらはお国を守るために、村を守るために。

映画『福田村事件』より

この他責の思考こそが長谷川なのだ。何も自分では判断しない、考えもしない。全ては警察が、国がそう言ったからと自分の行動や発言を棚に上げてしまう。自分たちは警察や国が言うところの"危機"に対処しただけであって全てはお国の為にやったことなのだと。

特に長谷川が目立ってしまうのだが、劇中で行商人を囲んだ福田村の住民たちは誰一人として自ら考えなかった。判断することを放棄してしまった。なにをどうしたら、親が殺されて駆け寄る幼子たちを背後から日本刀で切り付けることができようか。あのとき刀を振り下ろしたあの青年はもはや人とは呼べない存在だった。

トミ(役:MIOKO)

トミは幼子を抱えて村の仕事をする女性として描かれる。夫は東京 本所の飯場に出稼ぎに赴いていたが関東大震災以降に生死不明となってしまう。

地震被害から逃れてきた避難民が福田村にたどり着いたとき、トミはこの機に乗じて朝鮮人が暴虐の限りを尽くしているという"噂"を聞いて、夫は朝鮮人に殺されたかもしれないと思ってしまう。周囲の誰もその噂を疑わず、いつの間にか夫は朝鮮人に殺されたという思い込みだけが彼女の心にのし掛かるのだ。そしてトミは暴発する。

トミの罪

トミの罪も長谷川同様に考えなかったことにある。ただ、なんだか凡庸な説明になってしまうのは心苦しいのだが、トミは流言飛語を撒き散らした人たちによって有りもしない憎悪を抱えることになってしまったとも言える。加害者であり被害者でもあるのだ。しかし、そんなことで許されることではないだろう。彼女は自ら暴発し導火線に火をつけることで、無実の行商人たちを亡き者にしてしまう。結局、夫は戻ってきた。

これは参考情報。

広告の加害性

ここで冒頭の平賀源内の話。うなぎに関する噂を街中に撒き散らすことでうなぎ屋は儲かった。映画『福田村事件』のなかでも市民に擬態した警察官が朝鮮人に関する悪い噂を撒き散らす姿があった。新聞も内務省が思い描くとおりの記事をそのまま書いてみせた。情報が人々の認識をねじ曲げ、認識をねじ曲げられた人々はただ"朝鮮人である"、たったそれだけの理由で何人もの人を殺害してみせた。この狂った状況を作ったのがいわゆる"クチコミ"なのであったなら、広告が作り出した手法が人を殺したともいえる。同様のことは原子力にもあるし、自動車や様々な薬品にもある。功罪ある技術とともに私たちは生きている。

だが、広告に備わる加害性にばかり注目していられない。広告が持つ良面をしっかりと見つける、見つけ直すことで広告の持つ加害性を希釈していかねばならないだろう。

この映画の持つ衝撃は間違いなくSNSが普及した現代にこそ刺さるはずだ。観ておいて損はありません。一度鑑賞してみることをお勧めいたします。

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