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B.E.夏号 第8章「悲しみと向き合う場所で」

悲しみへの向き合い方は千差万別。グリーフケアの現場で死別の苦しみを抱えた方々と日々向き合う、グリーフケア協会代表であり、東北福祉大学の教授でもある、宮林幸江さまにお話を伺いました。

グリーフケア(日本では死別悲嘆と呼ばれることもある)への関心は、ここ日本でも着実に高まってきている。2025年問題としてテレビや新聞などのマスメディアでも伝えられることが多いが、高齢社会が浸透した社会において大切な人との別れというのは、誰にでも平等に、かつ避けがたいものとして訪れることなのである。そうしたグリーフケアに関する研究も、高まる関心とともに増えつつあるが、その特性から多くの困難をも抱えていることが分かる。悲しみという、とても個別性・属人性の高い事例のため、汎用的な対応というのが難しく思われがちであるが、個別事例の中にもある一定レベルの共通項が見い出せると話してくれた東北福祉大学・教授で日本グリーフケア協会の代表でもある宮林幸江氏へのインタビュー内容をもとに、悲しみへの向き合い方について考えてみたい。

わたしたちが、人生のどこかのタイミングで直面せざるを得ないことが、愛する人や大切な人を失ってしまう死別である。小此木(1999)はそれを「対象喪失」と呼び、広義には失恋をはじめとする愛情依存対象の喪失、住み慣れた環境の喪失、自己の誇りや理想、所有物の喪失までを含む(宮林・坂口・田子2007)ものである。

大切な人を亡くした方は、自分がまるで「バラバラ」(あるいは「ぐちゃぐちゃ」)になってしまうような感覚に陥ります。「悲しみ」や、なぜ自分を遺して死んでしまうのだという「怒り」、大きな孤独感(寂しさ)もある、故人を思い出して辛くなる「思慕」、自分だけが周囲の人たちと違ってしまったと感じる「疎外」。いくら望んでも叶わない状況に鬱とそっくりな症状が出ることもある。(途中略)自分の中で何が起きたんだという感情が渦巻き、自分は頭がおかしくなってしまったのかもしれないと考えてしまいがちです。そうではなく、「それは普通ですよ」とお話して差し上げると、「そうだったんですね」と安心していただける。

(インタビューより)

大切な人を失うことは貧富に関わらず、そして老若男女を問わず、誰もがある意味で平等に経験することである。そして、それは人々が想像をしているよりも辛く苦しい体験になるだろう。多くの人がその悲しみや辛さを乗り越えて日々を生きているのかもしれない。しかし、多くの人が乗り越えた(ように見える)からといって、自分も同じようにできるかというと、そうではない。死別はそれぞれに個別的な出来事であるし、当事者にとっては耐え難い精神的かつ肉体的な痛みをもたらし、社会的な活動は阻害され、時によっては憂慮すべき重大な疾患をも誘発してしまう。そうした、人によっては生活そのものが脅かせられかねないのが、悲嘆なのだ。悲嘆に対する反応、情緒面では3つの反応に分けられると言われている。(宮林2005)

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