起業はツラいよ日記 #95
中居正広の問題なのか、フジテレビの問題なのか、おそらく両方の問題であり、最終的には社会の問題でもある。世間はその問題一色である。
正面切って批判する人もいるし、おそらく後々のことを考えて口を噤んでいる人もいるだろう。なんだかんだ言ってフジテレビが潰れることはない。いわゆる「Too Big, Too Fail」大き過ぎて潰せないのだ。
この問題が、そんじょそこらの炎上案件と一緒くたにされては困るが、きっと世間は直ぐに忘れてしまうだろう。2025年が終わる頃になったとき、「あぁ、そんなこともあったね」程度には収束してしまう。それでいいのだろうか、良いはずはない。
1980年代生まれのわたしはSMAPの成長をリアルタイムで観てきた。アイドルなのにバラエティー番組に挑戦したりして今のアイドルを形作ったのはSMAPで間違いないだろう。しかし、きっとそのアイドル・モデルも終焉だ。「なんでも出来るアイドル」というSMAPの型は、テレビバラエティーとの親和性が高過ぎたのだろう。テレビはSMAPに依存し過ぎた。
AKB的なアイドルグループがなんとなく下火になり、K-POPアイドル的なものが爆発的になっている昨今、アイドルに求められるものは「なんでもできる」ことではなく、「歌が上手い」とか「カッコいい」とか、一義的なものになりつつある。
個人的には、引退したスポーツ選手がよく分からないバラエティ番組でわちゃわちゃ騒いでいるのを見るのが苦々しいタイプなので、スポーツ選手にはスポーツをやっていて欲しい。彼らには特に芸人のような面白さや、俳優のような演技を求めていない。
それは同様に、芸人に対して俳優のような演技を求めていないし、俳優にもアーティストのような歌唱力を求めていない。つまりは、「マルチタレント」というよく分からない職業が成立する世の中が変だったのであって、これからは「特化型」の時代なのではないかとすら思う。
例外として、芸人だけれど素晴らしい小説を書き上げる又吉直樹のような人材もいあるが、あくまでそれは例外なのだ。あるいは、キャリアパスの通過点として「芸人」という道を介したのかもしれない。いずれにせよ、何にでも才能を発揮する人間というのは、そうそう居るものではない。
改めて冒頭の話に戻ると、わたしたちはSMAPに依存し過ぎてしまった。彼らは、どうしようもなく何でも出来てしまったのだ。歌(はそこそこかもしれないが)も、ダンス(もそこそこかもしれないが)も、演技(もそこそこかもしれないが)も、司会業も、お笑いも。
いや、「そこそこ上手い」ことが重宝されてきたのか。そういうマルチタレントっぽさが平成という時代の表象だったのだろう。