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起業はツラいよ日記 #58

わたしが社員一人の白蝶社を立ち上げた背景に2008年に休刊してしまった『広告批評』(マドラ出版)を今一度復刊させたいという理由がある。
天野祐吉が発刊した『広告批評』は広告のよき理解者として制作者を叱咤激励していただけでなく、ともすればタコツボ化して社会から切り離されてしまいがちな広告をあくまで市民や社会と結びつける役割を担っていたと考えている。

いま広告は(広告業界は)危機を迎えている。

広告はいらない、見たくもない。ジェンダーについて無知過ぎる、炎上してばかり。広告にまつわる言説といえばそんなものばかりだ。

前置きが長くなってしまったので、本題に入ろうと思う。いまこの本を読んでいる。『サントリー 時代を広告する 世界を広告する』(天野祐吉,日本実業出版社)。昭和52年に発行された本で、新橋SL広場で開催されていた古本市で偶然見つけたものだ。

筆者撮影

わたしの最近の関心はサントリーの前身である寿屋(ことぶきや)の宣伝部それ自体、そして彼らが発行していた『洋酒天国』というフリーペーパーにある。そのわたしの関心に真正面から応えてくれるものだろうと期待して読み進めているという訳である。同書の中に以下のような章があったので、それを題材に話を進めてみたいと思う。

知性から稚性へ
知的遊戯は、”知的”遊戯であることで”知性”を必要とし、知的”遊戯”であることで”稚性”を必要とする。『洋酒天国』は、知性ゆたかな雑誌であると同時に、稚性あふれる雑誌であり、センスある”茶目っ気”ぶりで、私たちファンをときに哄笑させ、ときにニヤつかせた。

『サントリー 時代を広告する 世界を広告する』(天野祐吉,日本実業出版社)

稚性から痴性へ
痴性は稚性のいとこである。そうでなければ、いたずらをした子どもを「バカ!」と叱るのはスジが通らない。いたずらという稚性のワザを、バカという痴性を表す言葉で叱るのは、両者の間に何がしかの血のつながりを認めていることの証拠である。

『サントリー 時代を広告する 世界を広告する』(天野祐吉,日本実業出版社)

知性と稚性、そして痴性

今朝、NHKの朝のニュース おはよう日本 で新潟県佐渡市の小学生が課外授業で田んぼの生き物調査をしている様子が紹介された。インタビュアーが子どもたちにこう尋ねる。

(NHK)「トキがいる佐渡はどう思う?」
(子どもA)「最高」
(子どもB)「佐渡だからこその魅力」
(子どもC)「佐渡だからこそ楽しめる自然ですね」

まぁこのくらいは子どもでも答えられる水準なのかもしれない。しかしながら、昔の小学生といえば無闇矢鱈にピースサインをしてはしゃいでいる姿しか思いつかないのだが、どうなのだろう。

いまとむかしを比べて、一体どのくらい賢くなったのかを定量的に説明することはできないのだが、昔より賢くなっているに違いない。小賢しくなっているとも言えるともいえる。小賢しい子どもの存在は以前から言われていたことだから、いまに始まったことではないが、そういった子どもたちが成長して大人になっていることだろう。

一方で大人たちはどうだろうか。

大人たちが昔に比べて随分と賢くなったという話は全く聞こえてこない。いや、むしろその逆であるという話を頻繁に耳にするだろう。子どもたちにおいては「稚性が低下し、知性が向上した」。大人たちはといえば「知性は向上していないが、稚性は未だ高いままである」。大人なのに子どもっぽい人たちを多く目にする。それは会社でも、コンビニでも、電車やバスなどの公共交通機関の中でも。むかしから指摘されていることだが「大人子ども」問題じゃなかろうか。

自己責任論が幅を効かせるようになったのが特に2000年代初頭から2010年代中盤にかけて。この時期海外で邦人が人質にとられる事件が相次ぎネット上で「自己責任だ」という言葉が多く使われるようになったことは皆さん記憶しているだろう。
同時に露悪的な態度も幅を利かすようになる。誰かに指摘される前に失敗や欠点を開示して周囲からの批判を回避しようとする姿勢が目立つようになった。その傾向が強化されすぎたからなのか、敢えて人から反発を受けることを前提として世間の注目を集めようとする人たちも現れるようになる。先の都知事選なんていかに世の中の逆張りをして注目を稼ぐかの争いになってたじゃないか。

1950年代〜1960年代の大人たちがそれ以降の大人に比べてとても賢かったとは言わない。しかし、その当時の「ユーモア」と現代の「ユーモア」は明らかに形を変えてしまっている。
現代で「稚性」は歓迎されるだろうか?「痴性」はポリコレの強すぎる社会ではバランスを取ることが難しいかもしれない。「知性」とはなんだろうか?昨今巷で流行る「教養」とはなんなのか?その「教養」とやらを身につけた人たちは知性を向上させたのではないのか。

街の酒場で無料で配られていた『洋酒天国』を作っていたのは開高健、山口瞳、など今考えても錚々たる知識人たちなのである。今の知識人は社会に求められなくなったのか。どこにいるんだ現代の知識人たち。

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