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癌罹患後の倦怠感にどれほど対処できているか

癌罹患以降の倦怠感の要因はたぶん99%くらいの人がわかっていてもつける薬がないと放置だと思います。ガン末期の悪液質、というと皆が想像できると思うけれど、罹患初期の時点でそれが進んでいることは殆どが気づけない、もしくは気づいていてもどうしようもできていない、のだと思う。

よしりんや他の人達の闘病、父の闘病をみて思うのは、罹患以降(体重減少が始まり出した頃)からすでに糖新生が起き始めていたんだろうな、と思う。

白米中心の食事にしたら、食欲不振と倦怠感が改善の兆しが見えたときがあった。それが闘病期間の後半3/4くらいだったから、それが挽回のきっかけになり得なかったのは悔しいけれど。食べ方が倦怠感に繋がる。副作用とか病気由来とか、でない食べ方に。問題があったことを知ったときには、もっと早く知りたかったと強く悔しかった。

お腹が痛くなり出した頃、食欲が落ち出して体重が落ち始めた頃、その時点で白米中心の和食ごはんを徹底させるべきだった。そこが一番の敗因だと、父の闘病を通して強く強く思うのだ。

癌になったら。病院探しをしたり、治療方法を探したり、どうしても、外に、外に、求めてしまう。食事や生活の徹底よりも、今の現代の人の95%くらいが、病院探し治療探しを最優先にさせてしまうのだ。そこがまず間違いだったと、思うのだ。

私もやらなかったわけではない。でも食欲が落ちて体重が落ち始めてしまってからは、胃に優しいもの(お粥)筋肉をつけること(魚・卵・(肉))食欲をあげるもの(甘いもの)となんの知識もなく奔走してしまったのだ。罹患後は全く時間の無駄もできなかったときに、ずっと迷子のまま奔走してしまった。闘病期間の3/4は奔走したと思う。そこまで進むと状況も変わって不利にどんどん傾く。

あとは身体を冷やさないこと。そのことに気づくにも闘病期間の1/2は過ぎてしまっていた。温熱療法にたどり着いたのもそれくらいだ。

全ての反省を活かして、もう一度父を治したい。夢にも何度も出てくるのは、これらすべての気づきを、集大成にして、もう一度父を治している場面なのだ。小さな小さな改善を得て、嬉しそうな父の顔を見て、この調子だと思って目が覚めて、いないんだと思う。

正直つらい。父が治らなかったのに、同じ闘病の人のヒントや助けとなるかと発信をすること自体が。本当はもっともっと醜い感情だって渦巻いていて、同じく苦しんでいる人を片目に放っておくことだってできる。自分が傷つきたく無ければ。

それでも、この嘘のないドロドロしたリアルな感情のままの発信が、必要な誰かにちゃんと届いて欲しいと思ってやまないのだ。