『生きてるだけでえらい』と言う言葉は現実逃避を正当化しているだけなんじゃないの?
Love letterでこんな質問を頂きました。せっかくなので、noteのネタにしようと思います。
【ご質問】
うまく言語化は出来ないのですが、「生きてるだけでえらい」という言葉があまり好きではありません。薄っぺらいし現実から目を背けるのを正当化してるように思えます。
いわんこさんはこの言葉はどう思いますか?
【ぼくの回答】
こんにちは。面白い質問をありがとうございます。せっかくなのでnoteのネタにさせてください。
さて。いきなりですが、質問主さんは『マトリックス』をご覧になったことはあるでしょうか?仮想空間(マトリックス)に囚われた人類を開放するために、主人公が悪しきコンピュータープログラムと戦うSF映画です。
一世を風靡したSFアクション映画ですので、もし未鑑賞であれば、こんなnoteを読むのをいますぐやめて観て頂きたいのですが、その中でサイファーという男がこんなセリフを言います。
You know, I know this steak doesn't exist. I know that when I put it in my mouth, the Matrix is telling my brain that it is juicy and delicious.
After nine years, you know what I realize? Ignorance is bliss.
邦訳すると、以下のようになるでしょうか。
「俺は、このステーキは存在しないことを知っている。ステーキを口に運ぶと、マトリックスが脳に信号を送ってくる。このステーキはジューシーでおいしいと。
9年たって、俺が気づいたことは何だと思う?“知らぬが仏”さ」
サイファーは主人公を裏切る悪役でして、このセリフは「つらく厳しい現実世界を見るくらいなら、仮想空間の中で現実を知らずに生きていたい」という意味です。
むろんぼくたちは(おそらくは)マトリックスの中では生きていませんし、サイファーは主人公を裏切りますし、そもそもこのセリフはご質問への回答にもなりません。
しかし、その一方で「みんながみんな、おまえのようにつらい現実を直視できるわけではない」という意味で捉えると、なかなか面白いセリフだと思います。ちなみにぼくは人間臭いサイファーが大好きです。
さて。話を戻しましょう。
ご質問の件、「生きてるだけでえらい」という言葉についてですが、質問主さんのおっしゃることはよくわかります。
理由は簡単で、この言葉が「現実から目を背けるのを正当化している」というのは紛れもない事実だからです。
実際、この言葉を好む人は、そういった傾向にあるかと思います。
自分の話をしてしまい恐縮なのですが、ぼくはわりと恵まれた環境で生まれ育ちました。
トップレベルの中高一貫校に入学しましたし、大学も(第一志望こそ落ちてしまったのですが)地方国公立に入れましたし、アメリカに留学もさせてもらえましたし、就活も運よく第一希望に内定を頂戴することができました。
また、ぼくの親族はけっこうなシバキ主義が多いです。たとえば、ぼくの祖父は高卒でありながらも、某上場企業の役員にまで出世した文字通りの叩き上げで、ことあるごとに「男は歯を食いしばって、仕事をするから男なんだ。出世こそ、男の本懐なんだ」とぼくに言っていました。
こんな環境で生まれ育ったぼくがどういう考えになったかというと、まあご想像の通り、「努力しないで底辺の環境にいるやつは人間的にダメ」というシバキ主義です。
恵まれた環境で生まれ育っておきながら、そうでない環境の人間を見下すなんて、いま考え直してみると「愚か」の一言に尽きるのですが、まあとにかく、そんな感じの人間になりました。ほんとうに嫌な奴ですね。
そんなぼくにも人生の転機がありまして、意気揚々と入った勤め先でうつ病になってしまいました。
そのころのぼくは繁忙期になると、毎日はやくても終電帰り、遅いとタクシー帰り、土日もだいたい出社という生活をしていました。しかもその後、家に帰って寝るだけの自分に耐えられず、電車がなくなってから飲みに繰り出していました。
こんな生活を続けてメンタルにガタがこないわけもなく、数年後にとうとうベッドから起き上がれなくなってしまい、メンタルクリニックに診察にいったところ、「過労です。ドクターストップをかけます」と言われまして、半年以上の休暇を余儀なくされました。
また、半年後に復帰しても、一度壊れたメンタルはやはりなかなか元に戻らず、季節の変わり目には鬱々した気持ちになってしまい、しばらく休むということを、数年間続けるハメになってしまいました。
いまでこそ抗うつ剤や睡眠導入剤をほぼ断薬できつつあり、症状もほぼ寛解したのでよかったのですが、あの数年間はまちがいなく人生で一番苦しい時期でした。
メンタルのつらさもさることながら、自分に期待してくれている親にはうつ病になったことも言えず、祖父の「歯を食いしばって、仕事をするから男だ」という言葉になにも応えられない自分がほんとうに嫌になりました。
もともと仕事自体もできていたわけではないのですが、メンタルに爆弾を抱えた人間なんて、出世のキャリアなんて見込めないですしね。もともと出世云々にはあまり興味のない人間でしたが、しかし、その現実を突きつけられるのはやはりキツイものがありました。
こんな人生どん底にいたぼくが、じゃあなんでいま元気に毎日を送れているかというと、「まずは生き残ることを考えよう」と、あきらめ半分、前向き半分で気持ちを徐々に切り替えることができたからです。
上述の通り、ぼくにはほとんどキャリアの目はありません。また、症状も寛解しつつありますが、しかし、いつまたメンタルが爆発するかもわかりません。少なくとも、休職前のようにバリバリ働くことはもう無理でしょう。
そんなぼくが今後の人生について考えてみたとき、「なにもかもダメになったけど、でもまだ人生は続くんだよな」ということでした。
親の期待には応えられないかもしれない。会社人人生としては詰んだかもしれない。
それでもぼくの人生は続く。そうであるなら、まずは生きないといけない。生きることそのものを肯定的にとらえないといけない。
「生きてるだけでえらい」という言葉について、ぼくは冒頭で「“現実から目を背けるのを正当化している”という指摘は紛れもない事実だ」と書きました。この考えは、うつ病経験を経たいまでも変わっていません。
その上で、ぼくが質問主さんに投げかけたいのは、現実から目を背けるのを正当化するのは、絶対的な悪だと必ずしも言い切れないのではないか、ということです。「現実から目を背ける」というより、「べつの見方で現実を見る」と書いた方が伝わりやすいかもしれません。
ぼくは「人生どん底にいた」と書きましたが、べつにぼくより恵まれていない環境にいる人なんて、それこそごまんといるでしょう。
親から虐待を受けている人もいれば、経済的に恵まれず勉強ができなかった人もいれば、就活に失敗してキャリアにコンプレックスを持っている人もいると思います。また、逆もまたしかりで、恵まれているのにも関わらず、「努力したくねえ」という自分を肯定したいがために「生きてるだけでえらい」という言葉を発している人も多いかと思います。ぼくも見ようによってはそうかもしれませんしね。
ただそうは言っても、目の前の現実に歯を食いしばって食らいついていける強い人ばかりが生きているわけでもないのもこれまた事実です。
そういう人たちが、それでも日々を送っていくためのワードが「生きてるだけでえらい」だと思いますし、仮にそれが「現実から目を逸らす」ことであったとしても、ぼくは否定したくありません。
なぜなら「生きてるだけでえらい」を否定するということは、夢や理想が志半ばで破れたときに、自分を全否定することになってしまうからです。かつてのぼくがそうだったように。
おそらく質問主さんは、ちゃんと努力ができる人間なんだと思います。勝手な想像ですが、ちゃんと努力した上でキャリアも順調に積み重ねており、努力をしない人間が自己肯定しているのを見るといらっとするのでしょう。お気持ちはよくわかります。
その上で、あえて一言書かせていただきますと、「生きてるだけでえらい」は心のどこかで逃げ道として残しておいた方がいいです。いまの自分が今後も続くなんて保証はどこにもありません。
そういったときに、自分で自分の逃げ道を防がないようにはしてあげてください。
ご質問ありがとうございました。またの質問をお待ちしております。
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