大型連休はサンバルテルミの夢を見るか
覇王を自称する広域強盗団が世間を騒がせているが、もう一つの強盗団については世間で話題にも上らない。
嘘で若者をたぶらかし金のために殺しをするよう焚きつける勢力なのだが、もう2年半以上も精力的に活動し続けているにも関わらず、一向に裁かれる気配はないのだ。
それには法の不備が関係しているが、法整備される気配もないのである。
無論、その強盗団とは新型コロナ拡大勢力のことだ。
リスクを侮らせるデマをしきりに発信しては、死を振りまいてきた。金儲けのためにである。
「多くの人にとってはただの風邪」と吹聴し、事態を命の問題から矮小化させ、重症化する2割の人間を死に追いやろうと画策してきたのだ。
検索エンジンのニュース欄やSNSでは執拗に情報工作を仕掛け、テレビ番組にプロパガンディストを送り込んではデマを喋らせ、新聞の広告欄を買い取っては大々的にデタラメを広めた。
連日に及ぶこれらの情報発信は、コロナ弱者を社会的に包囲して何としてでも殲滅せんと息巻いたプロパガンダに他ならない。それはほぼ間違いなく組織的に行われてきた。
例を挙げよう。近頃急激に露出を増やした成田悠輔なる人物がいる。
高齢者の集団自決が必要と生放送中に発言したことで、教鞭をとるアメリカで炎上している経済学者だが、5月にはテレビ朝日の非科学的な反マスク特集に出演し、感染拡大を呼びかけていた。
その成田が炎上のせいか露出を減らすと、反比例するように再び古市憲寿が担がれ始めたのだ。検索エンジンのニュース欄で立て続けに名前を見て、あまりに露骨なバトンタッチで笑ってしまった。
古市憲寿といえば、コロナ被害を頑なに無視してはメディアで感染対策に噛みつき続けた、反自粛の思想的後ろ盾である。その本質はネオ・リベラリズム的な加害の自由の賛美にあり、いじめ問題で被害者をキモいと番組で侮辱する一方、小山田圭吾が叩かれた際にはすかさず擁護に入り、報復感情を抱く被害者たちを罵った。
古市に言わせれば、いじめ加害者にはいじめる自由があり、コロナ加害者にはコロナを広める自由があるというわけだ。
同様にコロナリスクを矮小化しながら感染対策に噛みついて見せたメディアの主要人物に三浦瑠麗や堀江貴文がいるが、少なくとも古市憲寿と三浦瑠麗は共に反コロナ対策のトークショーを開くなど繋がりがあった。
このように、主要人物たちの交友関係を見ていくと、それぞれどこかで繋がっている場合が多く、反コロナ対策ネットワークなるものの存在がおぼろげながら浮かび上がってくる。
中には単独犯もいただろうが、コロナデマは組織的な虐殺作戦であった花王性は高い。
「とはいえ5類になるんじゃないの」と思う人も多いかと思うが、5類になるならなおのこと、である。
対策を放棄するのなら、世に放たれ野放しとなっている、コロナを広めるデマや詭弁は一掃し、新規感染を奴らの悪意と切り離しておく必要がある。
これからコロナを通常の疾病とし、犠牲者を犠牲と扱わなくするのであるから当然の儀式だ。
芸人のブラックマヨネーズは、フジテレビのワイドショーにて、早いところコロナ弱者をトロッコで轢き殺すよう政府に提言した。にもかかわらず、謝罪も訂正もないまま平然とテレビに出続けている。
殺人をしようと地上波で発信したにもかかわらず、だ。これはとんだ異常事態であるが、全くそうは扱われていない。コロナ弱者に人権はないのだろうか。
それもそのはず、当時はGoToキャンペーンが始まり、世論は「経済を回す」一色だったのだ。政府が経済偏重・人命軽視の姿勢を明確に打ち出し、コロナ拡大勢力にお墨付きを与えていた。
先日はマスクをせずに会話している中学生を、校医が金属バットを持ち込んで𠮟責したとのニュースが流れたが、恐ろしいだのけしからんだのと非難する前に、人権を無碍にされた側がどれほど追い詰められていたかを想像してみてほしい。
こういうと、経済が自殺者がと言う人殺しが必ず湧くが、それは詭弁にも程がある。僕らが殺されなければならぬ理由には到底なり得ない。
政府に提言するべきは経済対策や失業対策に自殺対策であり、コロナ対策の放棄ではない。未来の自殺者を救うためにコロナ弱者を殺せではまったく筋が通らないが、それもわからないほど、殺人の熱意に取りつかれているとみえる。
現に奴らはマトモな対策は提言せず、中には増税を理由に、飲食店への協力金すら批判する場合すらあった。
経済でも感染でも、亡くなる人を一人でも減らすよう協力していくのがあるべき姿であったはず。
しかしコロナ拡大勢力は、外側から都合よく命を重みづけして、コロナ弱者など死んで当然だと世間に向けて吹聴した。そんな奴らに黙って殺されるわけにはいかない。
僕は弁護士や人権相談窓口にこういった行為について何度かメールや電話で相談してみたが、現行法では対処のしようがないとたしなめられるだけだった。
だが、これはれっきとした組織的殺人である。少なくともヘイトスピーチであり、いずれにせよ人権侵害であるはずだ。
今でこそ「新型コロナはただの風邪」などと言ってもマトモな世間は信じないだろうが、奴らは手を変え品を変えてはプロパガンダを続けている。問題の専門性と、メディアと大衆の知識不足を利用して世に放たれた利己的かつ差別的な悪意である。
それらの蔓延るままの状況で対策を緩和することは、持病のある身からして非常に恐ろしい。
科学的根拠を示しての緩和ならば、それ自体に反対はしない。
ワクチンの効果、オミクロン株の特性、医療崩壊と超過死亡の折り込み。考慮すべき諸要素のデータがすべて出そろい、死亡率がインフルエンザと同等(時事通信によると1.7%前後)となったのなら、緩和の時期だろうとは思う。
だが、昨今異様な速さで進んだマスクの扱いについては別だ。
感染者が減ってくると、異様な熱量で感染対策に攻勢を仕掛けるのは奴らのいつものやり口で、中でもやり玉にあがりやすいのはマスクだ。理研、東大、慶応、アメリカなどの研究結果は意地でも無視してネガティブ・キャンペーンが仕掛けられてきた。前述のテレ朝の成田回もその一つである。
これまで奴らの攻勢に耐えてきた岸田政権と厚労省の取り組みには感謝の気持ちもあるが、5類移行に伴って防ぐべき被害が存在しなくなったからなのか、奴らのやり口を追認する形で陥落してしまった。その結果が専門家を完全に無視した脱マスク政策である。
最後の最後で、対策緩和に当たり最もやってはいけないことをやってしまった。
これに味をしめたコロナ拡大勢力は次の手を打っている。
先陣を切ったのは、最もコロナデマに熱心だった新潮社である。新潮は確実に存在するワクチン薬害に目をつけ、犠牲者を担いでは、自らの反コロナ対策が正しかったことの証明に利用し始めたのだ。
ワクチン薬害はコロナ対策を重視する立場からも見過ごせぬ問題であり、世間の関心も強い。感染拡大勢力にとっては格好の位置取りだ。
政府のワクチン政策を声高らかに糾弾してみせ、自らを社会正義の側に置き、その中で自分達が繰り返してきた反コロナ対策をも正統化していこうという作戦だろう。ワクチンへの不安を煽れば、そのうち犠牲者も増えるだろうからコロナ殺人者にとってみれば一石二鳥である。
新潮のこの動きには宮沢孝幸や須藤元気などの主要なデマゴーグ達も続いているようだ。
いつもの面々の中に中川淳一郎という暴言ライターがいるが、塩野義製薬のゾコーバの承認を理由に「コロナ対策を続ける奴はバカ」と書いていた。いつもどおり、検索エンジンのニュース欄にコロナ対策を貶める見出しを載せるやり方で。
だがこのゾコーバという薬、妊婦への使用は推奨されていないという。妊婦のリスクが高い伝染病を、妊婦に使えぬ薬を理由に広めて構わないと主張する。悪質なデタラメである。
妊婦への加害行為を推奨する発信など、到底表現の自由の域外であろうが、新型コロナの話となるとこれが何故かまかり通ってしまうのがこの国のイカレた現状なのだ。
中川淳一郎はその記事でコロナ対策を続ける日本に「あばよ!」と書いていたので、さっさと命が軽い高犯罪率の国に行ってほしいものだ。
殺人をプロパガンダするコロナ拡大勢力さえいなければ、もっと早く緩和できたろうにと僕は思う。感染の波を見ながら旅行も外食も少しは行っていたが、奴らが野放しになったまま緩和するのであれば、僕はもう引きこもるしかない。尊厳を守らなくちゃいけないからだ。
だが、政府には忘れないでいてほしい。
奴らの口車に乗り、コロナ弱者への人権侵害を追認する形で新型コロナを5類にするのなら、次の波が起きればそれは国家的な虐殺になる。
コロナ拡大勢力は邪悪なることロシアの如しであったが、今度はさしずめサン・バルテルミだ。
サン・バルテルミで虐殺されたピューリタンは約1万人という。虐殺には王家も絡んでいたが、すなわち人権宣言前の出来事である。近代人権思想が産まれる以前の虐殺で1万人なのだ。日本の新型コロナの犠牲者は執筆時点でいつのまにか7万人を超えている。7倍である。
それらは仕方のない死だったのだろうか。それとも、仕方のないことに「され」た虐殺の被害者なのだろうか。細かい数字は出せないが、コロナデマやコロナ詭弁の犠牲者がゼロということはあるまい。
5類になれば診てくれる病院が増えると安心している人もいるだろう。だがそれも奴らのプロパガンダの一つである。
体力が落ちた人に特攻性能を発揮する空気感染するウイルスが病院内に蔓延するのだ。別の病気で受信したとき、体力の落ちたあなたの身体は否応なくそのリスクにさらされる。
第7波の医療崩壊の中では、かかりつけ患者に限定して診察するクリニックも多かった。もしあなたのかかりつけ医が、糖尿病の患者を抱えていたり、産婦人科を併設していたりすれば、受信を断られるに違いない。そのとき、5類になろうとも、流行の最中なら容易には受信先は見つからない。
そのとき奴らは専門医を攻撃し、あるいはコロナを終わったこととして対策そのものを嘲るだろうが、忘れてはいけない。全てはそいつらが仕組んだことなのだ。
そうならないためには、今が最後のチャンスだ。
政治が責任をもって今までの不作為を謝罪し、改め、コロナ拡大勢力が繰り返してきたプロパガンダを大々的に悪と定義して、コロナデマによる人権侵害を二度と認めないと宣言してほしい。