エッセイ 始めました。
「エッセイ、はじめてみてください!」
と、職場で言われた。
なんでも、
「メールとかPOPとか見ていて、いつも文章がおもしろい」
と思っていたことが理由だそうだ。
正直に、控えめに言っても、すごくうれしい。
『そういえば、子供のころからなぜか文章を褒められることが多かった。』
なんて、いつ以来の記憶をひっぱりだしてくるくらいには有頂天である。
そう、私は 根っからの素直で単純な人間なのである。
さっそく書いてみようとしたところ、大きな問題に出会った。
『エッセイってなに?(。´・ω・)?』
素直な私は、グーグル師匠に聞いてみる。
『えっ~。なんか「副業として」とか「アフェリエイトで稼ぐ」とかばっかでてくるじゃん・・・。』
そしてウィキペディア先生にも聞いてみる。
【随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai[1], 英: essay[1])などともいう。「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなった。 wikipediaより引用』】
なるほど。
つまり、思ったことを書いていくのがエッセイなのか と理解にいたり
そんなこんなで、日々思ったことを随筆させていただきます。
さて、私はかなり一般的な日本人男性である。
マジョリティの中に埋没気味の旧世代強者→今は弱者 というポジションにおりまして、アメリカでトランプ大統領を支持した なんて言われる層の日本版のような属性かなぁという認識。
いわゆる凡夫って存在だけど、凡夫なりに頑張って生き残ろうと、
”100歳まで健康でありつづけて働きつづける”という人生戦略を採用。
そのためには何よりまず健康を維持しなければならない
って前提を抱えております。
『とりあえず運動かな(^^♪』
学生時代は運動部だったこともあり、
その勢いで走ってみたりすると、
まぁ~膝がイタイ!!( ;∀;)
増加した体重に反比例した運動量。
『これはダメだ・・・。』
根本的なところから変えていこうとすると、やはり緩やかなペースであるほうが無理はないようである。
誰にも期限なんて設けられていないのに、自分で勝手に結果にコミットして身体を壊してしまっては元の木阿弥である。
ニート という言葉は、パッと思いつくほかにも日常の活動量的な意味もあったりする。
まず、私はニートを高めることにした。
職場では、座り続けることをやめた。
毎日、駅まで、歩くことにした。
公園ではベンチではなく、散歩コースを歩いた。
成果がわからず、どうでもいいことにしてしましたい気分になった。
だから、格安のスマートウォッチ”mi band4”を装着した。
私は1日でおよそ18,000歩 歩いている。
そんな生活を2年ほど続けたのだ。
『そろそろ、頃合いだな。』
と中二病感を全開にして、挑むは最近話題のHIIT。
しかしながら、短距離走や無酸素運動は心底、苦手。
『なんとか中距離走にできないか?』
そんな私に、ノルウェー式HIITがほほ笑む。
5分 ウォーミングアップ
をした後に、
4分 最大心拍数85%~ の運動
3分 最大心拍数65%~ の運動
これを4セット繰り返す という運動だ。
私は33歳なので、ざっくりではあるが、
220-33=187 187×85%=159←これを4分間
220-33=187 187×65%=128←これを3分間
ということになる。
やってみた。
得も言われぬ全身の疲労感。
実行の際のポイントは、
4分間かけて心拍数をあげていくのではなく、最初の2分以内には設定の心拍数まで到達し維持し続けることである。
それはこういう顔になるよね。
翌日から4日間は筋肉痛がつづいた。
それがおさまったタイミングで、
『そろそろ頃合いか・・・。』
またも夜中の公園に赴くわたし。
昇天。
そんなこんなを4回くらい繰り返し、今年ははやく梅雨がきた。
『梅雨だからしかたない。』
雨も降っていないのに、そして筋肉痛も治ったのに、そんな理由で公園に行かない人間的なわたし。
しかし、次の日に感じる からだの虚脱感。
なぜ? 昨日は運動していないのに・・・。
『これがノルウェー式HIITがもたらすミトコンドリア活性の恩恵か。』
おそらくそのレベルで顕著には感じられることはないだろうと思いつつ、単純なわたしは、その効果を体感したような気分になるのであった。
そう、週3回のノルウェー式HIITは、
・若い人では49%
・高齢では69%
もミトコンドリア(人体のエネルギーをつくりだす存在)の性能がアップし身体のサビがとれる という恩恵をもたらしてくれるのである。
意味もなくサボったわたしには、その翌日、もとの低い性能に戻ろうとするミトコンドリアたちのぬるい活動量が、身体の虚脱感として現れたのではないだろうか。と妄想している。
そのすごい効果を実感しつつ、もはや やめるにやめれなくなってしまった状況に驚き&いくばくかの後悔を感じつつ、
人生100年サバイブへの戦略~運動編~は継続していくのである。