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大峯奥駈道を通って玉置神社に参拝、玉石社、山頂へも到達

2024年5月5日@熊野
玉置神社

十津川温泉バスセンターのところでトイレ休憩。十津川村で数少ないショッピングストア「ふくおか」に寄ろうとしたら閉まっている〜。定休日なのか〜と嘆いていたら開けてくれた。ただ単にオープン前だったのだ。飲み物などゲット。
以前来た時はここから土日だけ運行している玉置神社へのバスに乗ったなぁ。帰りは、目の前にある温泉「庵の湯」に入って見知らぬ女性といっぱい喋ったっけ。
ところが、自治体がバス運行の廃止を検討しているらしい。えー、車でないと行けなくなるじゃないのー。慣れてない人には危険な車道。昨日通った時も事故の車を見た。廃止はやめてください、お願いします‼️

8時40分
十津川温泉バスセンターからの眺め
途中の景色

通常は神社駐車場に車を置いて、そこからの参道を通って玉置神社に向かう。今回のツアーでは、別ルートから向かった。出発点は本宮辻。(ここまでの移動は車)

鳥居をくぐる時に、山に入らせていただきます、とご挨拶する。9時20分。

この鳥居から入る。小さな看板がある。
看板の一部を拡大

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)というらしい。修験者が歩く山岳道なので、険しい道なのだけれど、私たちが歩くのは、全体のほんの一部に過ぎないようだ。反対方向から歩いてきた若者もいた。現代の修験者だ。

結構な山道である。こういう山道、大好き。でも一人で初めてだと迷いそう。ツアーの良いところは、ガイドさんのおかげで迷わないですむという安心感だ。ガイドの美穂さんに感謝。

玉置山は、聖域として樹木の伐採が禁止されていたことから、熊野で最も自然林が残る場所の一つ。



玉置神社のすぐ下に到着。10時13分。55分程度かかっていた。
お参りの前に、県内一大きい大杉さんに会いに行く。

玉置神社の神さま、お久しぶりです。とご挨拶。
玉置神社は一昨年来た時に2日続けて来ることができて、御祈祷も受けていた。(1日目はバス、2日目は民宿で仲良くなった女性が誘ってくれて車に乗せてくれた)。その時のお札やお守りをお返ししようと持ってきていた。
今回はツアーで集団行動だし、ゴールデンウイーク中なので人が多くてとても御祈祷どころではないと思っていたが、私たちが社務所に行った時、ちょうど人が少なくなり、今なら御祈祷を受けることができるという。
そこで3人が御祈祷を受けて、あとの4人は後ろで見学。3人の御祈祷内容が違うので祝詞が異なる。私は息子の病気平癒。とても丁寧に、優しい言葉で祝詞があげられる。

玉置神社は全国でも有数の大人気パワースポットである。ときはゴールデンウイークの真っ最中。駐車場に入ろうとして全く進まない車の行列ができている日だ。それなのに待ち時間なく御祈祷を受けることができた。
神さまが、よう来たな、せっかくだから御祈祷受けていいよ。と言ってくださったのだと思っている。

メモ 玉置神社は熊野三山の奥の院と称され、修験の行場として重要な場所だった。御祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)。天地開闢(かいびゃく)の折、初めに現れた神。

神恩感謝
シャクナゲがたくさん咲いている
夫婦杉
大村屋の熊野古道弁当1200円。事前に予約して旅館で受け取り、各自持参していた。
目張り寿司、いなり、おにぎり


境内の一角で美味しいお弁当を食べた後は玉石社に向かう。

出雲大社玉置教会
象?
ここから登る。玉石社に向かう鳥居(12時57分)
この看板が目印
鳥居と森が一体化してない?

13時8分、玉石社にやってきた。

「玉置神社の真髄は、御神体である玉石社にあります。大きな石には見えませんが、実は地中深く埋まった巨大な磐。玉置神社が創建される前からあり、古代に神聖な祭祀の場であった可能性が高いことを意味しています」
「聖地をたどる旅〜熊野」(原水音さん)より

この本によると、玉置山は海底から隆起した岩山で、この玉石は海底のマグマが冷えて固まった枕状溶岩。つまりこの石は非常に古く、日本列島創世時まで誕生をたどるような石とのこと。ひょえー😱
そんなすごいスポットとは知らず‥、ただ手を合わせました。


御祭神は大己貴命。大国主さん。
玉石社参拝のあと、山頂へ向かう。ここで左へ。13時11分
13時19分、山頂に到着。玉石社から10分、神社からだと約20分
鐘を鳴らす。鐘の鳴らし方もそれぞれ
後ろからだと若く見えるかも。ふふふ
標高1076m
龍雲の歓迎
山頂で参加者の手を置いて記念撮影。山ガールによると足ではなく手を置いた方がいいらしい。

山頂に着いてみんなで記念撮影。撮影をお願いした若者も一緒に撮影に入ってくれる。その後、山を降りるまで一緒に歩いた。

新緑と木漏れ日の美しいこと。ここも好きだなぁ
ここにもシャクナゲが
降りてきた。山に入らせていただき、ありがとうございました、とペコリ。13時44分
駐車場のそばの鳥居。玉置さん、ありがとうございました。すぐそばにお店があり、母へのお土産としてまな板を購入。


帰宅後に改めて、「誰も知らない熊野の遺産」を開いた。
「実は玉置神社は幕末まで七坊十五寺を擁する神仏習合の寺院だった。明治の廃仏毀釈さえなければ高野山にも劣らない規模だった」とある。やっぱりそうだったんだ。記憶違いじゃなかった。
玉置神社参拝の後に、金比羅山にお参りした時、奥社に向かう参道で、玉置神社に似た空気を感じたのは、それでなのだろう。

この本はとても深い。図書館で4回借りて、買おうと思っていたら息子がプレゼントしてくれた。
パワーのある神楽鈴。前回の旅の時に授かった
木のお守り
護符

このあと瀞峡へ。
つづく。

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