BLUE GIANTで大号泣

最近ジャズという音楽ジャンルについて勉強し、基礎的な知識から身につけ始めた。ニューオリンズから発祥し、様々な音楽とぶつかり、合わさり、自己表現の音楽となったジャズ。
次にまずジャズという文化に馴染むためジャズの題材映画、本などに触れようと考えた。ならば私が馴染み深いのはやはり「アニメ」で、BLUE GIANTは気になってはいたが結局劇場まで足を運ぶことが出来なかった映画だ。出不精は人生の損であるとつくづく感じる。
明日はまあまあの早起きなのだが、まあ…と思い寝る前、0時過ぎにNetflixを開く。寝る前に見る映画ということは、強い感情の昂りなどは期待していないということだ。少なくとも私の中では。だってそうだろう、わざわざ寝る前という時間帯にレ・ミゼラブルやタイタニック、もしくはインターステラーやセブンを見る人間がいるだろうか。割といそうだが。しかし今回、BLUE GIANTに対しては違った。パッと見てパッと寝れる良質な映画、「大号泣」や「衝撃のラスト」ではなく良質な映画を期待して再生したのだ。

結果はタイトルからわかる通り、大号泣。最後20分くらいはずっと泣いていたのではないだろうか。最高だった。しかし切ない、辛い。
ユキノリの事故で、即座にNANAのレンが浮かんだ。アレも人生でこんなことあったろうかというくらい泣き腫らしたが、音楽をする人間にとって、音楽をできる怪我なら「無」、音楽を出来ない怪我なら、人によってはもはや「死」なのだろう。そうして解散となったJASS。作中の観客たちと共に2時間という時間の中で"JASS"に惹かれていった第二の観客たちは、JASSのラストライブにSoBLUEの観客らと同じように涙を浮かべ、心奪われる。私は全く同じ体験をしたのだ。SoBLUEにいたのだ。そう思わせてくれた。
ジャズはその人の魂だということも言葉以上に理解した、実際に劇的にジャズを聴けるようになった気がする。とにかく最高の映画、バンドだった。

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