#超交流会 3次会での語り
R6.5.25 渋谷の某居酒屋で語られた
OT肩幅の涙なしには語れない
熱いOT談義の一部についてご紹介します。
※記載内容は個人の感想であり
作業療法士の模範という意味ではありません
予めご理解ください。
熱いディスカッションが始まった
きっかけはOT肩幅のひと言だった。
某学会から運営について相談されていて…。
これに対して、OT肩幅と
酒OTさんの意見は違うものでした。
OT肩幅
「その学会が、どうありたいか。誰に伝えたいのかを明確にすべきだと思う。」
「例えば、より多くの人に伝えたいのであれば、ビギナーたちを取り込むようにすれば良いと思うし、例えば、高貴でありたいのであれば、積極的に医師たちを巻き込めば良いと思う。」
一方で、
酒OT
「僕は、学問は中立的であって変わらなくていいと思う。」
「誰のためにって視点も大切だけど、学問自体は純粋であって、需要とかを気にせずにそのままであればいいと思う。」
「でも、それだけじゃ学問を残せないっていうジレンマを抱えていることも分かる。」
*ここで前提として理解していただきたいのは、
両者の意見(信念)対立は、どちらの想いも正しいということ。
そして、OT肩幅の灼熱級のOT熱が噴火した。
※改めて、個人の感想であり、作業療法士としての模範という意味ではありません。予めご理解ください。
また、アルコールが入っているため、所々飛躍しております。
僕はずっと思っていたことがあります…。
理論や学問を勉強していくと思うんです。
途中から国語の勉強をしているような気持ちになるんです…。
理論や学問は臨床を助けてくれる。
だけど、理論のために臨床があるわけじゃないし、理論を提唱してきた先人たちがクライエントと向き合ってるわけじゃない。
そこには臨床家がいるんです!
いろんな研究結果とか、理論が生まれるけど、それをアップデートして最新化してきたのは、それを使ってきた臨床家がいるからであって!
臨床家がそれを楽しんで!なんなら開発者の想像を凌駕して!「どうだ!すげぇだろ!」って言えるのって臨床家だからじゃないですか!?
だから日本中の作業療法士(臨床家)がもっと自信満々に!楽しんで!胸張って勉強して欲しい!
逆に言うと、明日の臨床が変わらないのであれば、それって学んでないのと一緒じゃないっすか!?
だってクライエントのために勉強したんでしょ!?って。
学問のオリジナルの部分とか、アカデミックな部分は養成校や研究者たちに任せて、僕ら臨床家は僕たちのできることをすればいい!
だから解釈が正しいかどうか?って視点も大事だけど、目の前のクライエントに寄与できたかで答えにすれば良いと思う。
僕は臨床家が凄いってことを知って欲しい。
(感極まって、ちょっと泣いてる)
あらためまして、#超交流会 にご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。
モチベーションという、OT熱を高めるエネルギーになっていれば嬉しい限りです。
「作業療法という作業で繋がり、広がること」
それが#超交流会の目的でした。
またみなさんと集まれた時に、「こんな挑戦したんです」「こんな変化がありました」と笑顔で作業療法を語れる日を楽しみにお待ちしております。
湘南OT交流会 #超交流会 幹事
作業療法士 福田裕(OT肩幅)