カギカッコと句点の話
いや昨日さんっざんTwitterで騒いだ話なんですけどね。僕マジで昨日まで、「」の中の末尾には句点をつけるかつけないかの判断って、世の中の日本人50/50くらいに別れると思ってたんですよ。
「ちょっとそこどいて。座りたいんだけど。」
か
「ちょっとそこどいて。座りたいんだけど」
かどうかって話です。
引用とかの学術系のやつはまた別としておきますね今は。以下自由作文の話します。
で、僕は小学校の頃に「なるべく付けてね」みたいな感じの教えを受けてたんすよ(上記前者推奨されてたんす)。それに純粋に付けるのが好きだったので付けてたんすね。
三点リーダのあとはつけない派なんすよ。まぁこれは昔は小学校の教えを頑なに守ってつけてたんすけど、あるとき「三点リーダのあと付けるのめずくね?」って言われて、「あ確かに無い方が好き〜〜〜」ってなったのでつけるのやめたんすね(消えた語彙力)。
その時もさぁ、カギカッコの中の三点リーダに丸つける?つけない?みたいなことトッモに聞いたような気がするんだけど、
「そもそもカギカッコに丸つけんな〜」
「あ〜そっち派か〜」
〜終〜
って感じで全く意識改革になりませんでしたね。あの時に気がつくべきだったのかもしれん。
そしたら昨日「カギカッコの閉じる前、句点無いのが正解っすよ」って言われたんすよ。エッどっちでもいいんじゃないの!?って思って片っ端から本棚見たらまーーー確かに誰も付けてない。マジで誰もつけてない。びっくりした。せ、先生!?騙したんですか!!?
僕割とこういう、「昔そう教わったんです!」ってことからアプデできない純粋な少年(物は言いよう)なので時々こう言うコペルニクス的転回に出会うんですけど。昔は先生ごとに言うこと違ったりすると泣いて抗議するタイプのキッズだったので本当に人の言うことすぐ絶対的なものとして登録してしまってたんだなこれが。今は割と柔軟性が上がりましたが、昔に覚えたことはダメですね。
昨日さんざか人に聞いて回ったところ、どうやら作文用紙に書くときは丸つけることが多い?のかな。そのままワードに移行してしまったのかもしれん。でも俺小学校のころ青い鳥文庫とかの印刷物を作文用紙に書き写して小説の勉強しとったのに気が付かんかったのか?
※追記:青い鳥文庫は「。」だそうですって教えてもらいました
モチ、それだけじゃなくて
・英文にそこそこ慣れてる
・脚本に慣れてる(カッコで閉じないセリフになれてる)
てのも大きいんかな等と思ったり。
昨日色々聞いた同居人とトッモごめんな、興奮してて。まじでコペルニクス的転回だったんじゃ。
でね?とりあえず「まぁ間違いではないんじゃないかな」「でも圧倒的に少数派だね」という結論に落ち着いたんですけど。
僕は今後も句点つけようかなと思ってます(結局???)。
あの、一作その指摘受けたやつだけ無くしてみたんですよ。物は試しだし知識を得た記念にね?
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=17576600
……なんか、テンポが、キラァイってなっちゃって……
基本的に映像的に話を思いつくから、僕にとって言葉は音なんすよ。
「ちょっとそこどいて。座りたいんだけど」
だと
”ちょっとそこどいて。”と
”座りたいんだけど”の
息遣い変わるじゃないすか。座りたいんだけど、の後に着地しないというか。同じテンポ感なんだから
”ちょっとそこどいて。”、
”座りたいんだけど。”
でテンポ揃えたいんすよ。
三点リーダの後って音的にも句点ないじゃないすか。だってだんだんフェードアウトするから、丸いない。だからいいんですけど、普通の文章は丸消してみたら凄い疾走感出ちゃって。語尾がブチッ、ポイッてする。イギリス英語みたいな投げ感ある(イギリス英語エアプ)。
慣れてるからなのかなーとは思うんだけど、三点リーダの時は結構スっと切り替えられたから多分こだわり……なんかな……?
や、まぁ変化はしなかったけど教えて貰って自分のこだわりとか習慣をひっくり返すいい機会になったので良かった!
今後もね、多分句点打っていくので皆様は僕の作品読んでて「なんでこいつ句点あるんやろ珍しいな」と思ったら(あっこういう時は点打たないっすね音が続くので。文章中のカッコには打ってないっすわ)、これより前の作品は「小学校の作文用紙に囚われていたんだな」これより後は「テンポ感的なこだわりなんだな」と流して貰えれば幸いにござりまする!
※追記
家の絵本も「。」句点閉じでした。どういうことだってばよ。
気に入って頂けたらサポートおねがいします 美味しいものを食ってまた何か書いてお渡しします、永久機関ってわけです……違うか