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2025年、ネット広告 vs 人びとの決着

2025年のメディア界の話題、最後はネット広告。2025年はこの問題に決着をつけないと、ネット上のエコシステム全体が崩壊しかねない。私たちは解決策を見出せるのだろうか。


ネット広告の粗悪化、避難先はニュースアプリ

MediaBorderでは何度も書いてきたので読者諸兄も聞き飽きたと思うが、ネット広告の過剰ぶりがもはや限界に達している。こんな広告表示は誰しも日常茶飯事だろう↓


NEWSポストセブンの場合、なぜか見出しと無関係な動画ニュースをわざわざ流して読者の気持ちを逆なでしている。
その後もなかなか本文を読ませてくれない↓

コンテンツより広告を見せたい気持ちが先に立ちすぎている。ちょっとどうかしているが、この媒体に限らず、これが当たり前になっている。
もっと腹立たしいのがこういう表示だ↓

広告とは、コンテンツを楽しむうちに押しつけがましくなく表示されるものだ。おずおずと「あの、もし気になったら読んでください。」と、しゃしゃり出ずに見てもらえたら見てもらう、それが広告の基本姿勢だ。
ところが上の表示、「通せんぼ広告」と私は呼んでいるが、広告の基本姿勢をまったく失っている。「広告に目を通さないと記事は読ませんからな!」とまるで関所の役人のようにしゃしゃり出てきているのだ。「通せんぼ広告」の中には「私たちは広告を見てもらうことで成り立っています」と断り書きを添えてあるものもある。何か勘違いしているのだ。
だったらいいよ!と画面を閉じてしまう人は多いだろう。意図とは別に、広告と読者の間を遮断している。
中には、仕方ないなと広告を見る人もいるだろう。だがそんな人も、広告が表示されている間「あと5秒です」のようなカウンターに視線を集中させて広告の中身など見ていない。結局、その広告には何の効果もない。
私は最近、上のような広告に出くわすと、ニュースアプリで見出しを検索して読むことが増えている。

同じ見出しの同じ記事なのに、ニュースアプリの方が圧倒的に読みやすい。さくさく読めて、快適だ。
これはもちろん、デイリー新潮にとっては損だ。ニュースアプリに広告費を中抜きされるのだから。
自分でもイヤになるのは、こんなことを何年も前から何度も書いてきたことだ。長年言われてきたことがなぜ改善されないのか。そこには明確な理由がある。

改善されない理由:広告を出す側は、Excelしか見ていない

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