震災の国のメディアが共有すべき新潟民放2局の経験
先週も豊後水道を震源地とする地震が起こった。この国はいつどこで大きな震災が起きるかわからなくなっている。
さて4月16日17日と、新潟を訪問した。目的の一つは、BSN新潟放送が昨年認定放送持株会社に移行したことについてお話を聞くことだ。そしてもう一つは、元日の地震への対処について情報を提供いただいた各局にお礼をお伝えするためでもあった。これがその記事だ↓
22日のウェビナー「能登半島地震にテレビ局はどう向き合ったか」を直前に控え、あらためて今回の地震についての取材もできた。特にBSN新潟放送とTeNYテレビ新潟では報道の責任者の方にお話が聞けたので、両社の姿勢を対比的に読んでもらうべくまとめてみた。似たところもあれば、違うところもあり、それはそれぞれの企業文化や気質の表れにもなっていると思う。(BSNの持株会社化の取材は後日、記事にする)
ところで新潟の民放界では女性が重要な役職に就いているのをご存知だろうか。まずUX新潟テレビ21の社長は桒原美樹氏だ。私は2021年に民放唯一の女性社長として取材している。
今回取材したBSN新潟放送の報道部長も女性、酒田暁子氏だ。そしてTeNYテレビ新潟の中川幹子氏は3月まで、つまり発災時は報道部長だった。4月に報道制作局長となったが、UX新潟テレビ21の報道部長も3月までは女性だったそうで、新潟では3月まで民放に女性の報道部長が3人いたことになる。
まず酒田氏に話を聞いた。大阪出身の酒田氏は元日の地震発生時、実家にいたという。
「仲間と一緒にいてこれから飲みに行こうかという時に大阪も揺れました。最初は富山・金沢の地震で応援に行くべきかと考えていたらまた揺れて、新潟も震度6弱だったので、頭が真っ白になりました。津波警報が出ていたにも関わらず、報道部員に全員出社と伝えました。」
車に飛び乗り海沿いを避けて名古屋経由で長野まで高速道路で出て、あとは下道で翌朝4時に新潟にたどり着いた。その間、部下たちに指示を出す。また部下たちもあらかじめ決めた手順に従い動いていく。新潟放送はラテ兼営局で、アナウンサーはまずラジオブースに飛び込むルールだという。
「もしもの時は3分以内に特番を立ち上げることを目指しています。記者一人でも特番を開けるよう普段から練習することにしています。」
JNN系列では震度6弱以上または津波警報が出されたらローカルの判断で特番を始めていいことになっているそうだ。TBSが先行して特番を開始していたが、そこから先は新潟放送の番組を新潟で放送し、時にTBSから要請が出て全国にも流れる。新潟の被害は、新潟市内の西区の液状化が激しく、上越地方には津波が来た。津波警報はずっと出ていた。
すると新潟放送の局員は危険な中で出社したことになる。この点をあとから、酒田氏自身もまた会社としても反省点として議論になったという。
「私が全員出社と部員たちに伝えて集まってくれたものの、躊躇した部員もいたと言われました。会社としても震度6弱だと全員出社するルールですが、見直しの議論が出ています。ただ、家族と自分自身の身の安全を確保した上で出社できる人は出社する、としか決められないと思います。」
すると子供がいたら出社するなとなってしまうが、メディアに携わる人間なら使命感は止められないだろう。簡単には正解が出そうにない。
元日は21時になると正月番組に戻る局が多かった中、JNN系列では21時以降も特番を続けた。
「私は戻る途中の車の中でしたが、津波警報が出ているから続けるものと思っていました。JNN系列は、そのままやりましょうという方針だったようですし、後日の振り返りでも異論は出ませんでした。」
「J特」という言葉があり、「JNN報道特別番組」の意味で、系列として決めたら続けるものとなっているようだ。JNN系列は全体の意思が統一しにくい、とよく言われるが報道特番については一丸となる。
東京でテレビを見ていた私からしても、娯楽番組にホッとする中、民放でも1局だけ地震を伝え続けてくれたのは頼もしかった。合間合間にチャンネルを変えて様子をチェックしていた。
新潟放送では元日以降も新潟県内の被害の取材に集中したが、1週間経つ頃にはもっとも被害の激しかった能登半島への応援にも1班組んだ。ただ、一昔前とは違い部員たちに無理をさせないようケアが必要だ。
「1人の記者がずっと出る状態にならないように、夜通しにならないようにと、人数が少ない中で安全管理を考えています。そうすると応援を出すのも大変です。」
能登半島への応援はもっと距離がある局からも来ており、系列全体でサポートできていたようだ。
その流れで私がかねがね気になっていたことを聞いた。キー局のニュース番組のキャスターによる現地に行ってのレポートは、今回の地震に限らずよくあるわけだが、必要なのかと思っていたのだ。地元の局のアナウンサーが伝えればいいのにと。
この点は、系列の会議でも議論になったという。
「結論は出ませんでしたが、被災者のインフラが足りてない中で、例えば電波を使っていいのか、という議論は出ました。」
発災から時間は経ったが、被害を受けた地域の情報は特番や日々のニュースで伝えている。
「液状化で被害を受けた郵便局が再開したり、中学校がダメになって入学式を場所を変えて行ったりしたことは伝えています。前に取材した被災者がいまどうしていらっしゃるかお聞きするように記者たちに言っています。」
能登の様子は毎日のように全国ニュースにもなるが、新潟の最新の状況は接する機会が少ない。ただ各局ともYouTubeを使った発信は当たり前のように行っているので、時折チェックしていきたい。液状化の現場を見に行ったが能登の被害とは別の痛々しさを感じた。
TeNYテレビ新潟の中川氏にもお話を聞いた。中川氏は発災時、新潟にいてすぐに出社した。
「ただアナウンサーは県外出身者が多い上に日テレ系列は高校サッカーがあるので何人か東京に行っていたりで手薄でした。記者たちはすぐに集まってくれましたが、海が近く、川沿いにある社屋が津波に見舞われる危険はあったので、後でそれでよかったのかは課題として出ました。」
新潟の民放はどの局も信濃川沿いにあり、同様の危険はある。
「津波警報が続いている中、海の方には取材に行けません。出社できなかった社員がその場で撮ってくれた映像や、系列局の社員で新潟に実家がある方が送ってくれた映像が役に立ちました。出社させたことで逆に身動きが取れなくなるより、被災者として行動していく中で撮影をした方がいいかもしれないと話し合っています。液状化の被害も郵便局の駐車場の車が埋まっている映像を一般の方がアップしていたことで各局がそこで取材できました。」
災害時にとにかく出社するルールが最適かどうかは、新潟放送も共通する課題だ。
放送を開始してからは津波警報が出ていることをひたすら伝えた。
「スタジオから”津波が来ます!逃げてください”と呼びかけ続けました。」
最初の1時間以上、情報カメラの映像を流しながら呼びかけ続けた。
「新潟駅の様子や被災状況などを放送し始めたのは17時25分ぐらい。状況が変わらなそうなので18時過ぎに全国(の映像)に戻りました。そこからまた何を取材するか何を伝えるかを整理して準備を整えました。」
全国に戻るか、自ら放送するかはローカル局の判断。地震が起きると、イニシアチブはローカル局にあるのだ。
また緊急時の全社的な対応が自然と生まれた話が面白い。
「編成や営業にいる報道経験者が報道フロアに集まってきてくれて、自主的に”ちょっと取材行ってきます”と手伝ってくれたりSNSをチェックしてくれたりしました。」
ウェビナーに向けた記事「4月22日のウェビナーは、参加者も加わっての座談会の雰囲気で」の中でも触れたが、テレビ新潟は21時以降も地震報道番組を続けた。新潟放送がJNN系列全体として続けたのに対し、テレビ新潟のキー局日本テレビは正月番組に戻っている。取材に同席したコンテンツ戦略局長の小林健氏(22日のウェビナー登壇者)は事前にその気配を察したが、自分たちは正月番組に戻れないなと思ったという。中川氏も思いは同じだった。
「仮にも津波警報が発令されている状況で余震もまた来るかもしれない。被災の全貌もよくわからないのに暗くなってしまいました。津波警報が出ている上越地方も海辺に取材は行けない。ヘリコプターも新潟空港が閉鎖されて飛べませんでした。状況がわからない中で正月番組を放送していいのだろうかと思いました。」
営業セクションとの調整に手間をとるように思うが、やはり取材に同席した常務取締役・総合ビジネス本部長の岸謙一郎氏は東京の実家から東京支社に行ってテレビ新潟の放送を見ながら、当然続けるべきと受け止めた、ということだ。
ただ人気番組「月曜から夜ふかし」の正月SPだったので、クレームもたくさん来た。新潟県は非常に長く伸びていて、地域によってマインドが違う。津波が来た上越、液状化が起きた新潟市と他の地域では元日夜の気持ちはずいぶん違っただろう。
それでも21時以降、単独で地震報道を続けたことを異論も出ずに全社で受け止めたところにテレビ新潟の柔らかな企業文化を感じた。
新潟放送でも聞いた個人的な疑問、キー局のキャスターが被災地へ行く必要があるのかについても聞いてみたが、反応は少し違った。
「今回ほどの災害になると地元の局は地元の取材に注力するので全国向けに体裁を整えて送るのはキー局が来てやってくれた方がスムーズだと思います。分業のようなことですね。私たちは通常のニュースをギリギリ放送できるぐらいの人数しかいないので、そこに災害が起きると本当にフル回転になります。それ以外で全国に放送するのはパワーが足りないかもしれません。」
なるほど、全国向けの放送の文脈の中で被災地から語るのと、地元の人が得たい情報は全然違うだろう。日常的に地元向けの放送をしている中で全国向けの放送を行うのは、全く別の労力がかかりそうだ。説得力ある話だった。
お二人の話の中で共通していた問題提起が「全員出社は必要か」という点だった。これは社屋が被災する可能性があった新潟民放局の立地によるものだが、ウェビナーの打ち合わせで富山テレビの砂原氏も似たことをおっしゃっていた。
出社して集まらなくても、情報共有はいまや遠隔同士でも十分可能だ。また中川氏が言っていたように、社屋にいないからこそ各箇所の映像を撮れる。「震度Xで全員出社」のルールは見直してもいいのかもしれない。
新潟は度々大きな地震に見舞われている。伝説として語られる新潟地震からちょうど60年、記憶に新しい中越地震からも20年、そして今年は新潟にも大きな被害を残した地震が起こった。地震を経験するたびに、新たな知見をテレビ局は得ていくのだと感じた。
そしてまた、その経験を共有することでテレビ局も人々も次に備えることができる。今回の地震で多くの人々が高台に逃げたのは、東日本大地震の津波をテレビで見たからだ。
この記事で紹介した2つの局の2人の報道責任者から、読者の皆さんが得るものもあったはずだ。特に全員出社するかどうかは、今後各局でも議論しておくべきテーマではないだろうか。命を守る大切さは、テレビ局員も同じであるはず。だがメディアとしての使命との板挟みに、正解はないのかもしれない。
22日のウェビナーでは新潟テレビの小林氏をはじめ、3人の方々の経験を参加者にも共有していただく。石川・富山・新潟の他の局の方たちも参加するので、皆さんで一緒に能登半島地震を振り返りたい。ぜひご参加を。
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