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1995年5月 南部縦貫鉄道の旅
前回ちらっと触れた、7月の東京旅行のことを書こうと思ったのですが、
どうにも気分がのらない。
うーむと思っていたら、手近にあった昔の旅のアルバムから、スキャンしてみたのでご覧いただくことにしました。
「おしゃまの旅」タイムスリップ篇です。
記録が残っていた
ネガもどこかに仕舞い込んであるはずなのですが、自室でフィルムからスキャンする手段が現状ないので、プリントを複合機で取り込んでみました。
一部のトリミングのみで、色調はそのままです。
アルバムにはなにも書き込みがなかったけど、2000年にNECのワープロで作成した旅行年表(!)が挟んであった。
旅程まで、当時の記憶の範囲内だと思うが記載してある。
暇人だったんだな当時(…)
そこからピックアップする今回の写真の撮影日時、1995年5月3日。
当時住んでいた滝沢村(現在の滝沢市)のアパートの近く、盛岡市内の東北本線厨川駅から、朝一番の八戸行→青森行と乗り継いだ…ように記憶する(そこまで記録してない、笑)。
ともかくも、降り立ったのは三沢駅。
三沢駅ちかくにある当時の古牧温泉が、東北新幹線のフル規格での建設に反対していて…現在の状況をみれば明白だけど、新幹線に三沢駅はない…駅前に「東北新幹線歓迎」と皮肉たっぷりな看板を掲げていた。
まあ大勢に影響なし、だったことも明白で、新幹線は八戸開業ののち、新青森まで「ミニ新幹線」ではなくフル規格で延伸、近隣には七戸十和田駅ができましたね。
古牧温泉については、経営破綻して身売りしたようですね。
前置きが長いよ!
アルバムの1枚目。
三沢からは十和田観光電鉄で
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表題の南部縦貫鉄道ではないですよ。
青森行で野辺地まで行けば、じかに乗り換えできたのですが、待ち時間が長いのですよ、たしか。
野辺地といえば、下北半島へ向かう大湊線の起点、だったはず。
しかし、七戸とはあさっての方角、しかも折り返し列車だって少ないので、かけもちなんか考えられなかった。
なので、三沢から出ている十和田観光電鉄に乗って、終点の十和田市まで行き、バスで七戸に抜けることにしたわけですな。
三沢から十和田湖に行くのはバスだけでした。念のため。
いまでこそ、十和田市現代美術館がありますが、もともと三本木という町だったところで、インターネッツなんてものもなかったので、基本的に本屋さんでガイドブックを買わないと情報は皆無。
だからね、大型時刻表にも詳細が載ってないローカルバスの時刻なんかは、掲載の電話番号にかけて問い合わせたりしてたのよ。
まあ、それで、上の写真の、十鉄の三沢駅のなかには、待合室と出札窓口とともに立ち食いそばもあった。
古いし小規模だけど、ちょっとしたターミナル機能があった。
で、発車した電車は、その古牧温泉の敷地内をくねくねと曲がりつつ、三本木ヶ原をのんびり走っていくのですが、今回のアルバムにはなにも残ってないなあ。
そもそも撮り鉄でもなんでもなかったし。
カメラは、たしか親から借りていたペンタックス(機種不明)。
だもんで、いきなり次は終点の駅である。
30年ちかくも後になって、当時のあたしにダメ出ししたくなる、とはね。
まあ若い頃のじぶんなんてダメダメでしたからね。
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改札口は、うしろにみえる連絡橋を渡った先のショッピングセンターの二階にあった。
ダイエーグループ とうてつ駅ビル店というのがありましてね。
電車がなくなる前に閉店になったとか、ずっとあとになって聞いた。
駅ビルができる前の十和田市駅と思しき施設は残っていました。
電気機関車が見えます。
昼寝してる電車もいますね。
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このあと、駅ビルのバスのりばから、野辺地ゆきだったか? 同社のバスに乗り込み、七戸駅、は通らないので営業所で降車。
七戸から野辺地へ
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徒歩で、やっとこさ南部縦貫鉄道の七戸駅に到着。
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ここは、30年前でもめずらしい、というか他ではみられないレールバスだけで営業していた。
駅員さんに許可をもらい、構内をみて回る。
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なにがめずらしいって、運転士が左足でクラッチを踏んで、「右手で」マニュアルシフトをして動くのです。
国鉄民営化前後に第三セクター用に登場したやつとは、わけが違う。
車体はみればわかるけど、エンジンも昭和30年代のバス用だという話しだった。
左手でスロットル、右手でブレーキとシフトレバー。
そのレバーは、発車前に運転士がもってきて差し込む、というとんでもないことをしていた。
そうでもしないと、勝手に動かされちゃいますね。
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で、その運転たるや、凄かった。
何段変速か知らないけど、一速ですぐに変速して、二速に上げるの早すぎじゃないか? と思うくらい苦しげにガクガクする。速度がある程度でてくると、全方位的振動に襲われる。上下左右前後に身体が絶えず引っ張られる。いや乗り心地なんてもんじゃない。
あの当時でさえ、どうして廃止にならないのか不思議と言われていた。
定期客は通学生のみ、あとはどうみても(祝日だったけど)まともな地元の客はわずかだった。
なんでも、七戸町の業務請負など副業で支えていたらしいよ。
まあスクールバス並だった。
七戸以外は無人駅、ほとんどは原野のなかに木造のホームと待合室があるだけ。
途中坪川という駅がありましてね、すぐわきに流れているのが坪川、と本に書いてあった。
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車窓の写真は、これだけでした。まったく…
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所要30分くらいだったかで、起点の野辺地駅に到着。
駅舎はあれど、こちらからは出入りできず、旧国鉄野辺地駅の改札まで行かなければならなかった。そんな記憶がある。
後ろの東北本線の普通列車が、機関車牽引だった時代です。
一ノ関から盛岡までの区間は、前年くらいに電車化されて、ボックス席がなくなったことで話題になっていた、なあ。
東北新幹線は、まだ盛岡止まりだったから、そこから北は特急はつかりがメインでした。夜行寝台列車もたくさんあったけど、あたしは座席夜行の急行「八甲田」しか乗ったことがなかった。
すでに時代は新幹線にシフトしていたのですな。
で、南部縦貫は20世紀中に休止、その後廃止になりましたとさ。
2000ゼロ年代に廃止になった十鉄ともども、この日が最後の訪問でした。
追記 欠落しているもの
朝になってよみ返してみると、、、
いろいろと抜け落ちている旅行記ですね。
なんといっても、食にかんする記述がまったくない。
とはいえ、実際に若年期の記憶から、そういった身体的なものが
すっぱり切り落とされているのだから、そこまでもう辿るすべがない。
いまなら切実に意識する、その出口にあたる側の記憶もない。
まあ、ろくなもの食べなかったことはたしかで、それは現在も日常的に続いている。
高校の修学旅行先の京都でも事情は同じで、夕食はすき焼きだと聞きつけたラグビー部の連中が、宿の隣の肉屋に追加の肉を買いに行ったという話しは覚えているけど、それを食べた記憶はまるでないのだ。食べなかったはずはないんだけれど、なあ。
お読みいただき有難うございました。