彼氏さんとはどう?結婚の話とか出てる?
と、久しぶりに会った友人に大抵聞かれることについて
違和感を感じるのでまとめてみました。
こんにちは。オシャベリおもちです。私は都内に住むアラサーの女性です。同世代の同性の友人はほとんど結婚して子育てに奮闘中です。
すごく強い反発感ががあるわけではありませんが、そもそも子供がほしいとか結婚願望ていうものが昔からあまりありません。
でも、久々に会った友人は必ずと言っていいほどこの質問をします。
「彼氏さんとはどう?結婚の話とか出てる?」
私は、少々面食らってしまいます。
確かに彼氏と住んでもう何年もなる。お互いに30代という年齢で仲もいい、お互いに結婚について話をしたりもする。でも別に結婚が必須じゃないとも思っている。家や車を買うのが必須じゃないように、結婚も必須ではないという温度感で、しかもそれを誰かに大事な一項目のように聞かれるものではないという気持ちでいます。
それなのに、旧友があたりまえのようにその質問を、しかもそれが一番聞きたいことだというように尋ねてくると、居心地の悪い気持ちになるのです。
友人自身の結婚のことでもないし、私自身が結婚したい!と話していたわけでもなしに、どうしてそんなに人の結婚について気にかけてくれる(?)のだろう?と、不思議に思います。
その友人たちに「結婚したい」とか「子供欲しい」などと家庭についての夢や希望を口にした覚えは一度もありませんが、「絵の仕事をしたい」とか「こういうふうに英語を使って海外に関係する仕事をしたい」といった夢の話をしたことはたくさんあります。
なぜあえて「結婚」するかどうかを聞くのだろう
「絵の仕事、順調?」とか「今の仕事、やりたいことに近いの?」とか色々と私が目指している熱意の矛先も知っているはずなのに、まずそういうことは聞いてくれません。同じく「将来起こりうること」「その人の現状」っていう状況確認に変わりないのに、です。
でもなぜ、無理やり軌道修正するみたいに「結婚」の文字だけをたたきつけてくるんだろう。
「結婚」ばん!「どうなった!?」
という、なんか行動を制するために作られたお札を張られた気持ちになります。わたしは妖怪か、なにかか・・・?
もちろん、そんなことを気にせずに今まで通り親しく「私」自身のやりたいこと、いま興味があることについて話を聞いてくれる気の置けない友人もいます。その人たちは結婚していたとしても子供がいたとしても変わらずに「おしゃべりおもち」として接してくれる宝物のような存在です。
でも、大多数の知人はその手の質問をなんの悪気もなくしてきます。もちろんただの挨拶がわりなのかもしれないが、
それが嫌で、疎遠になってしまった人もいます。
わたしは、「プライベートな話だから言いたくない」と出し渋っているわけでもないんです。
「なぜ急にその話題??」と、面食らっている状態に近いです。
急に「あなたの株どうなった?」
って聞かれた感じに近いです。挨拶がわりなら、唐突すぎる話題なのです。
あれ?私、株持ってるっていったっけ?興味あるともいってない、しかも自分の株の情報?急に話しづらいな、もしかしてみんなが株をやりたい/やってるとおもってる?なんで今やぶからぼうに株の話・・・・・・・・・・?
って感じです。
でも、一人や二人じゃない。何人かに藪から棒に株の話をされる。だからとりあえず話をあわせておいたほうがいいんだろう、とおもって「あ~まあぼちぼちね」なんて言います。
毎回毎回「わたし、結婚するって言った??」などとむきになって真剣に説明してまわることもできないし、大体の人は「ぽかん」として「え、でもいつか結婚するんでしょう?」とか「でも、結婚しないで、いったいどうするの?」と、皆目見当つきませんといった表情をする。
大体結婚しないで「どうする」って、「どう」するのよ?(笑)こっちがききたいわ。地獄にでもおちるんですか?
これがまた彼らは天然なのだからたちが悪い。
というわけで、私が真面目に返事すると嫌な奴のように思えてしまいます。
だから「ぼちぼちね」とか「まあ、今のままでも幸せだし~」とか言って適当に相手が満足するような感じでおさめます。
で、これって「女性は結婚したいと思ってるに決まってる」て思ってる人がまだまだいるんだなあ、ってすごく思うんです。
彼氏も美容院に行くと、必ず美容師のお兄さんとお姉さんから「そろそろ同棲中の彼女さんとご結婚は?」と聞かれるそうです。(藪から棒に株の話じゃないんだから・・・(以下略))
それで私と同じ意見の彼は、「あ~まあまあ」と適当に返すそうです。それでも1.5時間あるカット時間のなかでその話題は続きます。
「え~、でも彼女さん、焦ってるんじゃないですか?」
と聞かれ
「いや、彼女も本当に特に願望ないって言っていて...」というと
「絶対に嘘ですよ、それ!!」「早く結婚してあげて!」
と、いなされて帰ってくるのだ。
どうも、「妙齢女性は結婚したいに決まってる」という計算式が、いたるところに蔓延しているらしい。
でもこれって、、、
みーんなの首を絞めていませんか?
世の中には妙齢で結婚して家庭を築く女性もいれば、そうしたくてもできないひともいれば、全然やりたくもない人もいるはずです。
そして妙齢で結婚して家庭を築く人など、それもまた数あるいろんな人間のうちの一部の人なのだとおもっていないあたりが、少し恐ろしいと思うのです。
「~歳くらいの女性はこうあるべき、こうだろう」というのは、ちょっと差別にすらあたるんじゃないかとも思います。
なぜなら「~は、こうあるべきだろう」というこの考え方は、とても排他的で、私だけじゃなくいろんな人を苦しめることになるからです。
じゃあ、
シングルの人は?晩婚の人は?同性愛者の人は?無性愛の人は?
私が知らないような事情の人も、もっともっとあるだろう。
とにかくこれはいろんな人がいるっていうのを考えずに出てくる言葉だと思うからです。
そういう一つ一つの考え方に惑わされるのはいやだ、「~あるべき」という思考を押し付けられるのがいやだ、と思い最近友達と会うのを躊躇する自分がいます。
でも、今後は分かってほしい人だけには説明してみて
それでも自分がすり減るだけだとおもったら、距離を置き、
そのかわり大事にしてくれる少ない人だけとかかわっていく、ていうのを今後の目標としていきたいな~と思っています。