高所恐怖症だけどバンジージャンプが定期的にやりたくなる理由。
今、バンジージャンプがやりたい。
高所恐怖症なのに。
いやそれ、本当に高所恐怖症なのかって話なんですけど、観覧車は目をつぶってないと乗れないし少し揺れるだけでも無理。高いビルは外が見れないし窓側に立てないこともあります(立っても手すりにしがみつくとか)。
そのくらいは高所が苦手です。
そんな私ですが実は、昨年か一昨年か、ふと思い立って一人で群馬にいき、バンジージャンプをやりました。
そのバンジージャンプ施設の人には、高所恐怖症も何も言わずしれっと契約書にサインしたり説明を聞いたりしながら、トイレに行っては一人で緊張でガクガク震えました。尋常じゃないくらい足が震えて、少し面白かったです(そんなことを楽しめる余裕はなかったけど)。
あの時が人生最大に緊張したかもしれない。それでも、ジャンプ台に向かい、3,2,1の掛け声でちゃんと飛ぶことが出来ました。
多分、それが今まで生きてきた自分の人生の中で、自分を一番褒められた瞬間です。
やればできるじゃん、て。
もしかしたら、あの一瞬しか自分を認められる事はないかもしれない、そのくらい、自分にとっては大きな事でした。
仕事で何か達成できたわけでも、誰かの役に立ったわけでもありません。(むしろバンジージャンプ施設の方々には一人のために他に客もいないのに何名も出勤してもらい、人件費もカバーできてなくて迷惑なレベル笑)
ただ、事前に予約したバンジージャンプを予定通りにやっただけ。
それだけのこと。
でも自分にとって、
自分が作った壁を自分で壊せた事が、とてつもなく大きかったのです。
飛んだ後は放心状態になり、迷子になって2時間歩き続けたけど。どこに行くでも無かったからそれでよかった。もう、目的は達成されていたから。
きっと、日常でこんなにシンプルな成功体験はそうできない。少なくとも私は。
白黒つかないことばかりで、何かを達成できても、欲を言えばこうできたらよかったよねとか、大量に発生してきて、終わることがない。日常だとあんまり達成感ってないなあって思うんですよね。
でも、高所恐怖症の私がバンジージャンプを飛べた事は、手放しで自分を褒められたし、誰に褒められなくても、自分に認められた、認められることができたのをとても感じました。
結局、人にどう言われてもそれを取捨選択して受け入れるのは自分で、自分を喜ばせるのが一番幸せを感じる近道なのかもしれないなとも感じました。
そんなことがあった数年前。
そして今、まったくバンジージャンプを飛びたいと思いませんが、そろそろ飛んだ方がいいなあと思ってきています。
なんでしょうねこれ。
そろそろシンプルな達成感がまた欲しいのかもしれません。
全部自分で決められる、自分のペースで目的に向かって歩いたり、あてもなく知らない土地を歩いたり、そんな日が欲しいのかもしれません。
もっと日常でちいさなハードルを沢山作って飛び越えていくことに達成感や喜びを感じられるようになりたいなあと思いつつ、飛び道具というチートでしかまだ補充できなさそうです。
飛ぼうと考えるだけで冷や汗が出てきますが、多分、また突然行くと思います。
次はもっと高いところかなあ。
久々の更新、写真も何も関係ないですがまた通勤中にでもポツポツ書いていけたらと思います。
人っていう字は、サクランボの茎を表しています。