見出し画像

sushi 11

駅弁のこと考えてみる。私は新幹線とかに乗ってるときに食事するのが苦手なんやけど、人が食べてるのはそんなに気にならない。みんなが楽しそうに駅弁食べて、車じゃないからと缶ビールを1本だけ飲んでる。多分普段の食事よりわくわくしてると思う!駅弁って味がはっきりしてるやつが多そうだし(食べたことないので妄想)、普段なら手が出ない値段でも「せっかくの駅弁だし…せっかくの新幹線だし…」みたいな感じで財布の紐が緩んでる。炭水化物!って感じの米とタレの染みた牛丼、うなぎ、優しい幕内…。日本人の「せっかくだし」って言葉は普段の殻を脱ぐ魔法やと思ってて、旅先だから、外食だから、記念日だから、誕生日だから、仕事がうまく行ったから、テストが終わったから、全部聞くだけでわくわくする前置き!日本人は基本節制の精神やと思うし、かく言う私も普段は「あると嬉しい」じゃなくて「ないと困る」ものしか買わないようにしてる。それって決してマイナスなことばかりでなく、本当に自分にとって必要なら出し惜しみしない、的な意味だと思う。なので、ギターチューナーを買いました。今までことごとく買ったチューナーをライブハウスに寄付して回ってたわけで、かれこれ数年持ってなかったんだけど(スマホのアプリでチューニングしてました)、せっかく東京でライブやし!と思って財布の紐が緩みました。多分、またどっかで寄付することになって「もう二度と買わへん」的なことになると思う。伝わってると思うけど、寄付というのは忘れるとも言います。流石にマイクを寄付した時だけはライブハウスをなんとか思い出して連絡して取りに行きました。いや、忘れ物多いのが悪いんやけど。小さい頃からそうだから、直らないと思うよ。

忘れるといえば、8年前くらいから昔のことから好きなことまでめっちゃ忘れていくんやけど、そういうのない?例えば音楽を普段掘ってて、これ好きだな〜と思って数ヶ月聞き続けるのに、いざ人から「普段、何聴いてる?」と聞かれるとパッと出てこなくて「キャンディーズ」って答えたりしてる。あってるんだけど、もっと色々、いまオススメのやつあるのに!って後でモダモダする…。あと、大学の時によく話をした友達と久しぶりに電話したときに、その子が熱く趣味のことを語ってくれるのを聞くばかりで、自分にもあるはずだけど言葉にならない。こだわりがなくなったのか、強くなりすぎて他人に伝えられなくなったのか、どっちなのか分かんないけど。他には、人の名前とか一緒に遊んだこととか、誰がどこの地域に住んでいて、何歳だとか。一番酷かったのは、ひいおばあちゃんが死んだことを忘れて(お葬式でたはずなのに)、一年ぶりに実家へ帰った時に、「あれ、ひいおばあちゃんの部屋におばあちゃんが住んでるな…私物もなくなってる…あ、そういえば、」みたいなことがあった。あとあと考えると、嫌なことすぎてもすぐ忘れてしまうみたいで、例えばある人に怒りが沸きすぎると、なんで怒ってたのか本気で忘れることがある。だからいざ相手に意見を言いたい!ってなっても「あれ?なんでわたし怒ってたんだろう?何が言いたかったんやっけ?」って、感情のやり場が失われる。脳みそがフルマラソンしたみたいに疲れて、鈍くなってブヨブヨするというか…。漫画も音楽も、小さい頃から色々好きだった気がするけど、他人に言うのは難しい!だから他の人の、好きなものとか嫌いなものとかの話を聞くのが好きやな。今も、キャンディーズを聞きながら、何がいいか言葉にできやんけど、くぅ〜っと噛み締めながら聞いてる。前に旦那にその話をしたら「感情を言葉にできる人は、何かを創らなくてもやってけると思う。よく分からない、言葉にできないことを、音楽とか文章とか写真とか、そういうので表現することで会話するんとちゃう?あとはアイドルにハマるかの2択」って言ってたのを思い出した。とりあえずは、前者でいてたいな。

いいなと思ったら応援しよう!