2023/6/15

19時、冷蔵庫から水を取ってくるためにいちど風呂場を出た。1リットルのペットボトルから、ピンク色のまともに洗っていないタンブラーへ水を移しかえながら、わたしの小さな部屋に目を向けた。廊下から部屋に向き合うと、部屋の前方奥と左側に窓がある(わたしは東西南北がよく分からない)。なかなか大きい窓だ。4月に、この部屋に引っ越してきた。わたしには、よく陽の当たる窓が必要だったから、この物件にはおおむね満足している。それだけでじゅうぶんだ。
6月、梅雨入り、さきほどの夕立ちは落ち着いていた。部屋は、うすい青とグレーを混ぜたような外の景色を取り込んで、そのなかで黒く止まっていた。わたしの部屋は止まっている。まるで、それ以外に明らかなことなど、この世にひとつもないようである。それでいい。少なくとも、いまそう思うのならそれで真実なのだ。あしたには変わる、あるいは二度と変わらない。
街や、カレンダーや、24時間をすべるように、わたしはそれらと生きていた。大抵のことを愛しているからだ。わたしの手や記憶から、あるべきものが零れ落ちていたとしても仕方がない。結果がそうなのだから仕方がない。
わたしは、コントロールしようと思う。また、それを試みようと思う。結局そんなことの繰り返しなのだ。わたしの日々(わたしの日々と呼べるものは存在する)は、たしかにこの手から零れ落ちた。しかし、見てのとおりわたしの部屋は止まっている。それに耐えられるほどの強さへ向かうために、生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?