最近の記事

小田原合戦時の山姥切国広・本作長義の所在について

今回は小田原合戦時の長尾顕長の所在及び山姥切国広・本作長義の動きについて考えたい。 主題は山姥切国広の作刀及び本作長義の銘入れはどこで行われたのか。 私は鉢形城と金山城の可能性を探ってみたい。まず各書物にどんなことが書かれているのか簡単にまとめる。 『上州治乱記』 ・長尾顕長が鉢形城にいた ・由良長尾兄弟が小田原に籠っていた ・由良長尾兄弟が金山城に籠っていた 『上州坪弓老談記』 ・由良長尾が小田原に約三百騎の加勢を出す ・合戦後、由良の居城である桐生城が没収される 『

    • 山姥切国広・本作長義の動きについて

      今回は小田原城落城後の山姥切国広と本作長義について考えてみたいと思う。順を追って書いていく。 ・本作長義は天正十四年に北条氏直から長尾顕長に下賜された。 ・山姥切国広は天正十八年に長尾顕長の依頼によって堀川国広が作刀した。 天正十四年に長義の刀を拝領した長尾顕長は天正十八年に足利学校に身を寄せていた堀川国広に銘入れを依頼する。さらに同年、長義の写しとされる山姥切国広の作刀を依頼する。小田原城落城後は二振りの動きが明確には分かっていない。小田原合戦時に二振りがどこにあったのか

      • 刀工長義について

        備前の刀工長義について個人的に調べたこと・考察を纏める。 長義は三代存在し、古伯耆の流れを汲んでおり長船派ではないという可能性を考えたいと思う。 国清、長義、長清、長重に関する記述のピックアップ 「校正古今鍛冶銘早見出」嘉永二年 1849年 ・伯耆国住 備前同人 永徳ト云一本 平治比伯州二長義有ト云 ・備前国長船住 康永ニ備州長船住 応安三相州正宗門 ・同二代備州長船 永和四康暦元長清同人 ・長重 備州長船住 建武元 作貞和五初代長義弟 「銘尽」 応永30年 1423年