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【地方コラム】ソーシャルファンディングについて考えよう

こんにちは、めぐる旅人のおすしです。
旅人としていろんな地域をめぐったので、そこで感じたことや知見を社会に還元したいと思ってアイデアを公開しています。

ソーシャルファンディングを考えるきっかけになったこと

ソーシャルファンディングとは、私が考えた造語なのですが、いろんな地域や暮らしている社会に還元する地域への投資です。
(一応ググりましたが、2024年11月14日現在民間企業一社でのビジネス利用があるようですが、私の定義とは違うためあえて別掲させていただきます;https://lifull-investment.co.jp/news/119/

これを考えたのは、ある大型スーパーが、そこに暮らしていない株主の声によって、「不採算店舗はすべて閉鎖しろ」と言われたことがきっかけです。

最近、湘南藤沢に住んでいた時に知り合った方とお話しした時に、近所にあるそのスーパーがなくなってしまうことで地域住民が不利益になってしまう、という話をしました。

「みんな閉店するだなんて、地域の人は聞いていなかった。そんなに大変ならもっと買い物したのに」

私自身も住んでいたときは便利だったのでよく利用していましたし、南口に衣料品まで買えるスーパーの形態をした店舗は近所にありませんでした。

私が現在暮らしている町には二つ系列の店舗があるのですが、一つは残して一つは営業を続けるようです。
その閉店してしまう方がよく利用していたのと、自転車旅でお世話になった思い出補正が強くて、なんだかなあという気持ちが大きいです。

もちろん、企業は営業利益の追求を求められるため、不採算事業は整理することがあります。
よくその際に掲げられる定型句が、「慈善事業でやっているのではない」
です。
株主が損をしないようにというのはわかるのですが、そのせいで地域住民が割りを食うのも少しやるせない気持ちがあります。

しかし、時に自己犠牲や地域社会の永続のために必要なことに自分のリソースを割ける人や企業って、かっこよくないですか?

ソーシャルファンディングと川崎のまちづくりの話

私が現在住んでいる川崎は、工業の一大都市として発展しました。
そこには、明治から大正にかけて、自分の財産を町の未来に「投資」して、町づくりの基礎をした偉人がいました。

かつて材木商として事業をしていた石井泰助(初代川崎市長)は、明治から大正にかけて町の未来の発展について考え、自分の所有していた土地に工場を誘致して、それまで農村だった川崎に工業をもたらしました。
今の川崎はその誘致した工業を中心に、水道敷設、鉄道、商業、工場などさまざまなインフラ設備に投資を続けることができました。
川崎は今年で創立100周年という記念すべき年なのですが、石井初代市長が投資したことが町に暮らす人々の利便性や受益につながっています。

今は大きな財産、土地を持っているのは企業や大地主くらいですが、そこに暮らす共同体である人々の「受益」につながることよりも、「個」の受益になることばかりが追求されていると思います。

見えない受益者よりも、その町に住む人が自由に参加できる、「未来」に向けたプロジェクトを興す基金のようなものが「ソーシャルファンディング」という手法でできないでしょうか?
そこに住む住民や、企業側からの提案になってもいい、その地域全体が受益者となる、第三セクター方式とも違う官民の新しい形が作れないでしょうか?

ふるさと納税との違い

ふるさと納税は市外からの人も大きくお金が集まりますが、大体は返礼品が目当てなので何の使途にしてほしいかまでは決めることはできません。そしてその税収額も変動があるので、迅速にプロジェクトに対しての思い切った予算をとることは難しいです。
しかし、ソーシャルファンディングは街の活性化や官民の隔のない事業を興すことに使えるお金の概念と考えています。

たとえば、地域ブランドを作る、地域の存続してほしい商店街のお金に使う、またその地域商業に人を呼び込む企画を作る、など。
そうした受益者が必ず地域住民になるような事業を、その土地に住む人たちや、その土地で働く人たち自身が考える。
マイナスの場所の格差をなくすというのではなく、その地域全体の人の受益につながるような、ポジティブなお金を、地域の住民や企業がアイデアもまじえて「投資」していくのです

都会からそんなに離れていない町ですら大規模商業施設ができて元の商店街が廃れたり、私が見てきた地方の町でも、たとえ大型商業施設ができても地域が受ける受益が少ない場所がかなりあります。
前項目のように店舗が撤退した時に、「本当に何もない」場所ができてしまい、その時には手遅れになっています。
こうしたことが続くと、結局東京や大都市が吸い上げてしまう悪いサイクルばかりができ、地方の過疎という手の施しようのない空洞地帯が増えてしまいます。

「ソーシャルファンディングの概念」を作りたい

すでにクラウドファンティングでは、地域に遊び場を作るなどをしている活動的な地方創生に取り組んでいる人もいると思います。
これからはクラウドファンディングだけではなく、地域の人たちがもっとアイデアを出し合っていくべきだし、それこそが「人と地方政治の向き合い方」の一歩だと考えます。
藤沢では地域紙の取材で地方議会を見学させていただいた時に、「政治の基本は予算の分配」と、議員の方に直接お伺いしたことが印象的でした。
お金がなければ、物事は何もできないのは同じです。
その時に、たった一企業の利益を求めるのではなく、たとえ収益を生まなくてもポジティブなものが生み出せる、地域住民が主体であることが大事だと思います。

その時に、どういう単位で「地域」だとか、「お金を集める?」「ものを動かす?」という議論が必要になります。
コミュニティだけだと、現在でも世帯が多いところだと町内会など今でも盛んなところは地域であります。
しかし単身者も増えているので、もう少し大きな枠組みで地域にポジティブなお金の流れができたらいいと思います。

よくデベロッパーが先行型の都市開発でマンションだらけのおもしろくない街になることもありますが、街の開発にもデベロッパーや鉄道会社を中心とするのではなく、あくまで地域との対話があってこそ、初めて街は成り立つものです。

人が主体になるまちづくりに必要なこと

私が実家を飛び出して旅に出たのは、そうした地域の人がお金や意見を出し合ってまちづくりをできない、電鉄系不動産の押し売りのようなつまらない町が嫌だったから、埼玉でいろんな町が見たくなりました。

「政(まつりごと)」は語源からも祭りですし、地域の人と同じ空気を共有しているのに、お祭りも何もできない町は、死んだ町と同じだと思います。近隣大学OBの集まる講演会でたまたままちづくりの話が出て、「○○電鉄の街づくりはまったく住民が参加できない、つまらない!」という意見に、その場の全員の人がうんうん言っていたのが私的にはとても印象的でした。
住民が何もまちづくりに参加できない街は本当に伝統も何もなく、つまらないのです。

住民と企業、自治体がお互いに「三方よし」になるお金やアイデアの動くことが、今後の未来に向けて必要なことです。
地域の未来のために、みんなが知識を共有し、財産を適切に投資することが大事だと思います。

旅人のおすし


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