【地方コラム】夢の跡に何が建つというのだろう? 公共の破壊とマンション
なんでもお金になればいい不動産の闇
バブル崩壊後から、街に夢がなくなった。
私はバブル時代の後に生まれたゆとり前期世代だが、ゆとり後期世代の置き換わってしまった堅実さよりも、少しだけ日本に夢があった時代を知っている。
私が見知った街にはデパートが溢れていた。
デパートでお買い物をして、レストランで帰りに食事をした。ケーキをたまに買ってもらえた。物質的にも金銭的にも、誰もが豊かな時代だった。
私の子供の頃は、街が夢で溢れていた。
でも、1999年頃から、街に夢の光がなくなった。
大手証券会社が破綻した。その後、外資に証券市場が食い尽くされて「人件費は無駄だ」という海外からの経営方針の徹底したコストカットにより、人の手仕事や人の目、人の作業がすべて金銭に置き換えられた。
職人の仕事は失われ、「派遣規制緩和」のもとにものづくりの現場はコストカットによる人間の人件費軽視が行われ、徹底したコスト見直しで安い更新国への工場移転が相次いだ。
残った大きな土地には、マンションばかりが建てられた。
デパート、美しい公園の跡にもすべて「マンション」か「アウトレットモール」
その選択肢しかないのかというほど、醜い選択肢のような2択となった。
もちろん川崎のように成功した街もあったが、それは元から大都市圏であって私が見た大抵の場所の夢の跡地は、つまらない場所に成り代わっていた。
私は、もっと大人になったらすべて持っているものだと思っていた。
でも、実際にあったのは経済的な分断だけであって、同じ夢の街を見ていた人はちりぢりになった。
街のお祭りに参加している中年世代はいない。氷河期世代は結婚できなかった人が多いからだ。
広告で流れる意識高い系のブランドマンション。
そんなマンションは当然、まともな勤め先があり、経済的に手堅いファミリー世代を主力な販売先としている。つまり、すでに持っている人だけがその「夢の跡地」の眺めに住むことができる。
なんでもお金に置き換わったつまらない時代に、そこに夢は当然詰まっていない。
バブルの頃にあった「あれもしたい、これもしたい」という子供のような大人たちの願望は、今や何も生み出さない空虚なマンション用地にしかなっていない。
私の一つ上の世代が氷河期世代だから、年下が好まれる女の婚活市場では氷河期世代と私の世代がとても余っている。子供は当然生まれなくなるし、一部のすでに持っている子持ちファミリーにだけ優しいまちづくりになっている。
お金にならなくても夢を残してほしい
あの時、私が見ていた大人の世界は、経済戦争に負けてぶっ壊されたのだと気付いた。
(だから匿名のネットで色々言っていたら旅のブログも嫌がらせされたけど、それに関しては別の記事参照)
地域社会も破壊されて、一部の地方では消滅自治体なる言葉も生まれている。
埼玉の草加で見たような巨大な団地が生まれるほどの「住宅が足りなくなる」信仰とはなんだったのか。いまや新築マンションは建てすぎて余っている上に投資家の狩場にしかなっていない。
そんな空虚で空っぽなマンションは誰が必要なのだろうか?
夢を詰め込んだ公園「倉敷チボリ公園」のあとは
岡山に、かつてそのような「夢」を追い求めた大人たちが作った倉敷チボリ公園という施設があった。
残念ながら私が岡山に足を踏み入れる前に経営破綻してしまったのだが、その後に行ったら、空虚で何もないショッピングモールになっていた。
地方の人からすれば遊ぶ場所がない、都会と同じように買い物できる場所がないという問題があるが、それこそ土地がたくさんあるのになぜ公園を潰してまで作るのかわからない。
「お金になればいい」優先の、大手デベロッパーの都市開発における倫理観や意識がとにかく低すぎるのだと思う。
「お金」以外の夢がわからない子供たちが怖い
なぜこんなものに置き換わってしまったのだろうと思う。
お金ではかれない夢の価値をわからない人が増えたと思う。
私はそんな社会にした人が嫌いだし、夢がない社会で紋切り型の子供ばかりになっていて、とてもつまらない。
小学生の姪と話すことがある。
そこで気付いたのは、なんでもかんでもお金お金言っていて、あまりにも「怖い」と思ったことがある。
地方旅で得た知見から「世の中はお金ではかれないことがあるんだよ」と私は言っても、私が知っている時代よりも金銭による統制が強まりすぎていて、いい例をあげることがなかなかできないでいる。
私たちに「夢」の土地を返してほしい。
めぐる旅人のおすし
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