連帯か孤独か カミュ短編とムーミンママと(私の)ワークスペース問題
昨今のリモートワークで旦那さんが一日中家にいてストレスだらけの奥さん!
…はい(挙手→私のことです)。
食事は勝手にやってくれるけど、私の身の置きどころがリビングしかない!しかも仕事部屋がリビング続きだから会議の声がめっちゃ聞こえる!
昼間の「まったりタイム」を返せ!…と何度思ったことでしょう。
ちなみに私はパートワーカーなので、フルタイムの方から見れば贅沢な悩みかもしれません(すみませんすみません)。
タイトル「私の」をカッコにしたのは、この記事は全く実用的じゃないからです!
今回取り上げるお話はこちらです。
・『ヨナ』 カミュ作
カミュは『異邦人』で知られるフランスの作家です。殺人の理由を聞かれて「太陽がまぶしかったから」と答えたのが有名です。
『ヨナ』は『追放と王国』という短編集の中の一編。ヨナという名の繊細な芸術家が、名声を得たけど忙殺されてノイローゼになった果てに再び自分を取り戻そうとするお話です。
ヨナは結婚して子どもに恵まれ絵画も認められ一躍有名人となりますが、どうでもいい依頼や来客に忙殺され、家の中は子どもたちでごった返して次第に創作意欲を失ってしまいます。
しまいには即席の屋根裏スペースを作って一日中そこにこもり、創作を再開させようとします。
物語のラスト、ヨナは疲労に倒れ一枚のカンヴァスが残されます。
カンヴァスは白いままで、
フランス語にすると言葉も似てるし謎めいてますね。
ヨナが言いたかったのはどちらなのか。
カギはヨナの中にあるとされる「星」。ヨナの芸術性や美的センスなどが「星」という言葉で表現されています。
屋根裏にこもり、妻や子どもたちの笑い声や食器の音、外の車の音などを耳にし、ヨナは家族への深い愛情と世界の美しさをひしひしと感じます。
それらはヨナの内なる「星」を妨げることはないが、もう自分は絵を描くことはないだろう、と心につぶやきます。
「星」を追い求めて絵を描いてきたのに、なぜ筆を折るのか。
翻訳ものだし半世紀以上前の作品だし正直言い回しがわかりづらい。
でも、スランプに陥って挫折したわけではないのは確かです。
そもそもヨナの内なる「星」とは何なのか。
世界を感知するアンテナであり、美や愛情を昇華・発信・表現する拠り所のようなものではないのかな、と私は思います。
孤独にならなきゃ描けないけど、孤独になったからこそ本当の連帯も手に入れた、というような。カミュならではのアンビバレンスを感じます。
読む人によっていろんな感想がありそうです。
・『ムーミンパパ海へいく』 トーベ・ヤンソン作
北欧のキャラクターとして愛されているムーミンですが、原作は作者の家族観が投影されていたり哲学的なテーマがあったりと、決してほんわかした童話ではないそうです。(私は全作は読んでおりません)。
この本はムーミンパパが灯台守になろうとして一家で孤島にやってくるお話です。この中でムーミンママが壁に描いた絵の中に入ってしまうという不思議なエピソードがあります。
まず、家族それぞれが自分の問題で孤独を抱えている姿が描かれます。
・ムーミンパパ → 家族に頼りにされていないことが不満で灯台守になろうとするが、肝心の灯台の明かりがつかない
・ムーミン → 「うみうま」という美しい生き物に夢中になるが相手にされない
・ムーミンママ → 島の荒涼とした景色に寂しさを募らせホームシックになる
・ちびのミイ → 相変わらず言いたいこと言ってる(ミイはいつも通り)
ムーミンママは島に花壇を作ろうとしますがうまくいかないので、部屋の壁(灯台に住んでいます)に絵を描くことを思いつきます。色とりどりの塗料でバラの花やりんごの木を描いていると、ムーミン谷の庭に帰りたいという思いが強くなります。ある夕暮れどき、絵を描いていると真っ黒い鳥が窓の外にあらわれて恐い思いをします。
壁の絵の中に入ってしまうなんて!
こんなこと本当にできたらいいのに!(増築不要で安上がりだし)
夕方家族が帰ってきた時にもまだ絵の中にいて、りんごの木の後ろからムーミンたちを見ています。ムーミンたちからはムーミンママの姿は見えません。
ムーミンママは壁の中の庭を存分に楽しむのです。
この時期のムーミン一家はムーミンが思春期男子で、ムーミンパパとママは更年期真っ只中と言っていいのかもしれません。
更年期は男女ともにホルモンバランスの変化で心身ともに不安定になりやすいもの。女性の場合は世話を焼く相手がいなくなって寂しくなったりもします。
また、ムーミンママは夕方は「家にいて当然」とされていますが(家族からそう思われている)、ムーミンママはそれを息苦しいと感じています。
(今は違うかもだけど)家庭の主婦と同じですね。
ムーミンやムーミンパパは勝手に外を出歩いて自分の孤独スペースにこもることができるのに、ムーミンママはそうはいかない。家の中で孤独になる空間を作り出したのは、それだけメンタル的に切羽詰まっていたのでしょう。
やがてムーミンママは島にいた漁師(実は本当の灯台守だった)の世話を焼いたり、島の不思議を家族で共有したりするうちに、ホームシックが消えて絵の中に入れなくなります。(メンタル回復)
・まとめ 連帯も孤独も
さて、二つの作品に共通するのはまさに連帯と孤独です。
どちらもひとりきりの空間から周囲を眺めています。
最終的にヨナは家族への愛情を確信して幸福感で満たされ、ムーミンママの場合は心を癒す回復プログラムになっています。
孤独な空間や時間があるからこそ、他人とつながることができるのです。
話は飛びますが、最近の間取りは個々の仕切りをつくるのではなく、リビングの一角にワークスペースを設けるなど家族の気配を感じさせるものがよく見られます。また、リビングのあちこちにひとり掛けソファを分散した「ソロリビング」という考えもあるとか(さっき知りました)。
まさに連帯と孤独のいいとこ取り。住み心地はどうなんでしょう。
で、屋根裏を作ったり壁の絵に入り込んだりできないフツーの人間はどうすりゃいいのか。私のワークスペース問題はまったく解決してないのですが…。
早起きするかカフェを探すかnoteやりながら試行錯誤したいと思います。
補足です。
岡田斗司夫さんのムーミンの解説動画がとても面白いのでおすすめです。