映画『かづゑ的』見てきました
こんにちはと初めまして。おすぬです。
先日こちらの記事を見て『かづゑ的』という映画を知りました。
(生活ニューコモンズ様、リンクを貼らせていただきます!)
この映画はハンセン病回復者である96歳の宮﨑かづゑさんのドキュメンタリー。かづゑさんは10歳のときから長島愛生園(岡山県)で暮らしている。
私はハンセン病について知識や思い入れがあるわけではない。が、絶対見ておきたいと思った。平日午後の小さな映画館。8割はお客さんで埋まっている。客層は40〜50代以上の男女と年齢層は高い。
普通の高齢者に見える、が。
冒頭、電動カートに乗ってかづゑさんが登場。お店で買い物をする。どこにでもいる高齢者に見える。よく見ると両手の指はない。
かづゑさんは園内で知り合った夫の孝行さんと暮らしている。小言を言う奥さんと笑って頭をかく旦那さん。こちらもよくいる老夫婦に見える。二人のやりとりに客席から時々笑いがこぼれる。
なんてゆーか。。。普通のご高齢の方に見える。
その「普通」であるために、かづゑさんが
どれほどの苦難を乗り越えてこられたのか。
(軽々しく書いてはいけないと自分に言い聞かせ
感想を続けます。)
インタビューが始まり入浴場面を撮ってほしいとおっしゃった。
義足を取った足。右足は膝から下がない。左足は膝をついた状態で歩いて浴場に向かう。ここまで映していることに衝撃を受ける。
かづゑさんはハンセン病のことを「らい」と呼ぶ。ハンセン氏(菌を発見した医師)よりも昔から存在した病(やまい)だからだと。
かづゑさんを支えたのは10代の頃からの読書だそうだ。園内の機関誌に何度も文章が掲載された。知的な女性なのだ。
かづゑさんの沈黙
映画は音楽やナレーションを極力控えていた。
かづゑさんが自死を思いとどまった話をする。
そう言うとカメラの前で沈黙し、やがて手で顔を覆い静かに泣いてらっしゃった。
また別のシーン。
口述でボイスレコーダーに文章を録音する。
「冷たかった肉親」
かづゑさんの友人が、家族からお箸やお茶碗を別扱いされた(あっちに持っていけと家庭内で差別を受けた)話をする。
話しおわりしばし沈黙する。やがて。
90歳を超えた女性が「愛のかたまり」とは!なんとみずみずしいことか。
声で文章を紡ぐ「間(ま)」もカメラは捉えていた。
『ふるさと』を歌ってほしくない
撮影はかづゑさんに寄り添い、本当の思いや姿を撮影しようとしている。
けれど、差別を受けた側と私たち側、あちらとこちらの断絶は悲しいけれど存在する。
かづゑさん夫妻が岡山のホールに念願の第九を聴きに行ったときのこと。
ソプラノ歌手の方がかづゑさんのファンで、持参した著書(『長い道』)にサインをお願いする場面があった。
かづゑさんは何度も「帰ってからサインをして送ります」と言い、その場でのサインを断っていた。
監督が(気を利かせて)「せっかくだから今書いてあげたらどうですか」と促した。これは映画を見てる私たちも同じことを思っただろう。
「じゃあ輪ゴムを貸して。」「ここにペンをはさんで」
かづゑさんがペンを持つことが簡単なことではないことに気づいた。
かづゑさんは右手をぶるぶる震えさせながら、やっと判別できるような文字を書いた。(たぶん力も入りずらい)
また、別の日のインタビューで。
慰問の人が来てよく『ふるさと』を歌おうとするが、安易に歌ってほしくないとおっしゃった。「無礼だ」とまで。心の弱いところを踏みじるようなことだと強い口調で話していた。
患者さんたちは回復してもふるさとに帰れないのだ。国の政策もあるけど、故郷での差別や、きちんとお別れできないままに島に連れられてきた過去など。悲しさや悔しさやいろんな辛い記憶につながってしまうのだろう。
こういった断絶=かづゑさんの気持ちに思い至らない、ということは、時と場所が違えば誰でも無自覚に差別する側になってしまう、ということじゃないだろうか。
映画のなかにたびたび出てくる海に面した場所。もともと新婚当初この場所にあった夫婦寮で暮らしていたそうだ、
鳥の声、葉っぱが風にゆれるさやさやいう音。いまの私たちから見ればのどかな美しい島にしか見えない。
島は天国であり地獄だった
と、かづゑさんが最後に語った言葉にずきんときた。
あとがき
パンフによると、2024年2月でかづゑさんは96歳になり、最近は水彩画も始めたそうです。
つたない感想文だしある意味ネタバレもしていますが、かづゑさんが動いて話す映像をぜひ見てほしいです。かづゑさんこそが「磨きあげた愛のかたまり」ではないかと思うのです。
映画の公式サイトはこちら
(ライラン9日目)