Catcher in the 路地裏 #創作大賞感想
「なんのはなしですか」という万能の言葉を駆使している怪人(コニシ木の子氏)のことを知ったのは、3月の初めごろでした。
「なんのはなしですか」というタグを使っているnoterさんを見て、恐る恐る真似して使ってみたところ、すぐに「ご自由にお使いください」と怪人からコメントが来ました。
次の週に怪人が文集を出しました。その中の一文にずきんときました。
その次の週にも文集が出ました。またしてもずきんときました。
ああこれは。屋上の手すりに引っかかったボタンなんじゃなかろうか。
『オシャレ泥棒』(中森明夫著)という昭和の終わりごろにマガジンハウスから出た小説があるんですが、そこに「語れ、最後のボタン」というフレーズがあるんです。追い詰められた著者が身投げしようと屋上まで来て、ボタンに引っかかって思いとどまる。
ボタンは著者とこの世を繋ぐもの。
「なんのはなしですか」は noter を note に繋ぎとめるボタンではないかと。
聞くところによるとnoteから去ってしまう人が多いそうですね。私も他の方の記事を読んでしょっちゅう自信を失くすし、面白い人になかなか出会えなくて辞めようかと思った時期もあります。
「なんのはなしですか」で体裁を整えれば思いつきの文章でも、中身がなくても、記事は投稿できる。noteを去らずにすむ。
まるで、あっち側に行かないようにライ麦畑で守ってる人のようです。
あ、ライ麦畑ではありません。怪人は「なんのはなしですか」界隈を路地裏と呼んでいます。
その後も毎週文集が出て、やがてムーブメントになっていくのを横目で見ていました。毎週の文集のボリュームを見て、怪人はお忙しいのではないかと私はタグを使うのを躊躇してしまったんです。が、怪人は超多忙の回収作業に歓喜されていたようです。
もはや「なんのはなしですか」は noter どうしを結びつけるきっかけになっているようでした。
私はちょっぴり反省しました。
路地裏のライ麦畑にどしどし記事を投げ込んでもよかったのですね。
もっと自分から面白がりに行けばよかったのです。
怪人がこの活動を始めるきっかけにもなった、noteの街を面白くしたいがために多数のnoterさんを紹介した女性を見て、怪人が思ったこと。
私はようやっとこの視点が持てたような気がします。
noteにずっと居場所がないと感じてました。
数字をひとつの指標とする価値観や、webのお作法(改行とか文字数とか)、SNSでの距離感など、慣れない場所で自分の至らなさやギャップばかり感じていました。
「楽しい」ってなんですか?なんだと思いますか?
「楽しくnoteを〜」という主旨の記事をいくつか読みましたが、ピンとくるものになかなか出会えませんでした。
怪人は、路地裏に集うnoterたちが「なんのはなしですか」という実体のない言葉に共振・共鳴していると見ます。
そして、このムーブメントがくだらないものをくだらないままで楽しめる土台を作ったとおっしゃってます。
「楽しい」って
くだらない/ばかばかしい/役に立たない
✖️
共振・共鳴
ではないでしょうか。
どんな記事でも「なんのはなしですか」とすっとぼけて面白がり、マガジンと「なんのはなしです課通信」という共振の装置に仕立てあげた怪人、いえコニシ木の子氏。
コニシ木の子氏と路地裏の皆さんが創り上げた「なんのはなしですか」ムーブメントに、私もほんの少しでも関われたことは光栄です。
未来に向けて、
私も何か考えてみたい。
いつでもくだらないことを面白がれるように。
こちらの創作大将の感想文です。