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高校を本気でやめようと考えた日
ごきげんよう、おすみです。
昨日の続きです。
宿泊訓練で体育教官に真っ向から歯向かうというやらかしをしたおすみにその後待っていたのは地獄の日々でした。
学年の全員が知っているやらかしをしたので、当然のように変人扱いされ、徐々に周囲から人はいなくなります。
おすみは運動神経を母のお腹の中に忘れてきたようで、3歳からしている水泳以外の運動が全くできません。
球技に至っては左目の弱視の影響も加わりまともにキャッチボールすらできません。
なので体育の授業(特に球技)では案の定チームの足を引っ張ります。
さらに、勉強面でもスタートダッシュに失敗しました。
古文、微分積分、生物、英文法…さっぱりついて行けず、おまけに周囲にはすでに誰もいないので誰にも聞けない状況。
当然悪い結果として定期テストの点数に現れます。
あいつは勉強も運動もできないのに口だけはいっちょ前で…と25年後の自分でさえそう思います。
2学期が始まったころから成績が学年トップの同じ教室の男子を中心にクラスからおすみを締め出そうと学級全体を巻き込む完全無視へとエスカレートし、ついにおすみの周囲には誰もいなくなりました。
唯一同じ中学校から上がってきて仲良くしていたクラスメイトも何があったか2学期から学校に来なくなり、そのまま退学していきました。
本気で後を追って退学しよう…でも親には迷惑をかけたくない…いっそこのままこの世からいなくなった方が世の中平和に収まるのではないかとまで考えました。
辞めたいけど辞められない日々をおすみはただただ必死に耐えました。
クラスマッチ(学級対抗球技大会)の日に明らかなハブられ方をされ、その後2年に進級するまで教室に怖くて入れなくなったこともありました。
それでも親にはそのことは言えず、人目を気にしながら保健室に逃げ込む日々を過ごしました。
学校に行かず隣町の海岸で『いなくなりたい』とぼんやり思いながら一日過ごしたこともありました。
そしてあの頃の我慢が脳に影響するほど無理をしていたことをその20数年後、心理検査で知ることになりました。
これが、発達障害的な適応障害を名乗る所以です。
次回以降はその前後の事をお話しします。
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