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背番号15のストーリー
ごきげんよう、おすみです。
おすみがうつ病になる前の趣味の一つに野球観戦がありました。
以前の自己紹介の記事でオリックス・バファローズが好きと書いた通りで、うつ病で心身ともに動けなくなるまでは京セラドーム大阪まで頻繁に観戦に出向いていました。
近鉄とオリックスが合併してもバファローズファンを続けている…厳密に言えばやめられない理由は、バファローズの名前が今も残されていることと、バファローズと名のつくプロ野球チームが日本一の頂に達していないからです。
オリックスとしては前球団名のブルーウェーブ時代や前身の阪急ブレーブス時代も含め何度か日本一に輝いたことはありますが、バファローズとしてはどれだけ過去を紐解いても日本一の文字は見当たりません。
なので昨年はパ・リーグ優勝はしたものの日本一になれなかったという事でなかなかファンをやめさせてくれませんられません。
特定のプロ野球チームのファンだというと、必ず聞かれるのが推しの選手です。
おすみの場合、今年の推しはルーキーの椋木蓮投手です。
理由ですが、椋木投手のプレースタイルや人柄が好きという訳ではなく、単純に背番号15番を追いかけ続けているという不純にも聞こえる理由です。
背番号15を追いかけ続ける理由。
それは、野球ファンなら忘れてはいけない名投手の背番号だから、です。
その名投手の名は藤井将雄。
1999年の福岡ダイエー(現ソフトバンク)ホークスの日本一に貢献した中継ぎ投手で、背番号は15でした。
おすみがバファローズファンになったのはおすみが大阪に移り住んだ2000年からで、それまでは特に母親の影響でホークスファンでした。
(ちなみに父親は宮崎出身が故に大の巨人ファンでした。逆に母親は200%アンチジャイアンツでホークスファン…なんでこの二人結婚できたんやろ)
ホークスはスクールカーストに退学を考えるくらいに悩んでいた高校時代の心の支えの一つでした。
嫌なことを忘れられる時間は野球中継を見ている時間で、高速バスで2時間以上かけて福岡ドーム(当時。現PayPayドーム)まで行って応援しに行くこともありました。
ホークスが福岡移転後初の日本一に立った99年当時おすみは高校3年生。
この頃のホークス投手陣で勝利の方程式の一角として活躍していたのが藤井将雄投手でした。
翌年もパ・リーグはホークスが優勝しました。
しかし、歓喜の輪の中に藤井投手はいませんでした。
そして、歓喜の優勝の6日後、藤井投手は31歳の若さで天国へと旅立って行きました。
死因は当初、間質性肺炎と公表されましたが、その後の報道で肺がんと改められました。
大阪に移り住み、応援するチームが変わっても背番号15を無意識のうちに追いかけるようになりました。
中でも佐藤達也投手は藤井投手と同じ勝ちパターンでの中継ぎ投手を任されていた等重ね合わさる部分が多く、過去一で現地観戦し、応援グッズもたくさん買いました。
(ちなみにサトタツさんは現役引退後から現在もバファローズの広報を担当されています。本当にお元気で何より)
おすみと背番号15には、球団の垣根を超えたストーリーがあった。
というお話でした。
皆さんは好きな数字や運命を感じる数字はありますか?
ぜひぜひコメントで教えてください(*^^*)