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すべての英語学習者に知ってほしい、中岸公さんのこと
和歌山県田辺市本宮。紀伊山脈の豊かな自然が織りなす渓谷美に深く抱かれたこの地に、僕はある男性を訪ねました。2024年11月の終わりのことです。
男性の名は中岸公(あきら)さん。御歳83歳(2024年12月現在)になられる、熊野古道ではちょっと名の知れたインフルエンサーです。
熊野古道は世界にたった二つしか存在しない「路=みち」の世界遺産です。
院政期の権力者の、国家財政を傾かせるくらい頻回に行われた巡礼に端を発し、下って江戸時代には「蟻の熊野詣で」として、日本中から多くの巡礼者を受け入れ続けてきたこの巡礼路は、ユネスコ世界遺産として、スペインの巡礼路「カミーノ・デ・サンティアゴ」とともに、今では世界中の巡礼者を魅了し続けています。
そんな熊野古道の核心地であり巡礼者の最終目的地である「熊野本宮大社」のほど近くに住む中岸さんは、中学校英語教師として地元の中学校で40年間教鞭を取られた後、「もっと英語が上手くなって、世界中の人と英語で繋がりたい」という年来の夢を叶えるため、この熊野古道のツアーガイド=案内役である「語り部」として、内外の多くの旅行者に外国人に熊野の魅力を伝え続けてこられました。
そんな中岸さんと出会ったのは、知人が運営する、熊野古道上の情緒豊かな温泉地「湯ノ峰温泉」にあるゲストハウスの住み込みスタッフとして勤務することになった2022年の12月でした。僕がまだ日本中を旅しながら生活していた時のことです。
そのゲストハウスがある「本宮町」に、最寄りの市街地である「田辺」から遥々車で1時間以上かけて英語を教えにきてくださるアメリカ人宣教師ご夫妻の英会話教室に参加させていただいたのが、僕と中岸さんとのささやかな出会いでした。
長テーブルの隅っこに物静かに座って参加者の英語に注意深く耳を傾けるその寡黙な年配の男性が、胸の内にそんなに熱い思いを秘めておられるとは、あの時の僕は想像だにしませんでした。
「英訳してほしい文章がある」
そう言いながら中岸さんがある日僕に差し出してくれたのは、とある地元ローカル紙の新聞記事でした。熊野を訪れる外国人にした英語のインタビューをご自身のインスタグラムアカウントに載せて紹介するという活動を取材し記事にしたもので、そこには中岸さんの熱い思いがぎっしり詰まっているようでした。
「これを英訳したものをオーストラリアの知人に送ってあげたい」。はにかみながらおっしゃる中岸さんのたってのお願いをお断りする理由は僕にはありませんでした。その日のうちに翻訳し、宣教師の先生にネイティブチェックを入れていただいた後、完成したものをお渡ししました。
(注:英訳した文章を、本記事の文末に掲載しています)
僕が熊野を発った後、中岸さんは、僕が訳したのその英文を紙に印刷し拡大コピーしてプラカードのようなものをこしらえて「自分はこういう活動をしている」という説明を外国人にするためのツールとして使ってくれていたとのことでした。
そのことがさらに話題を呼んで、NHKを始めTV局にも紹介され、インスタグラムのフォロワー数もそれに応じて伸びていったといいます。
あれからおよそ一年。今ではその活動が中岸さんの生きがいとなっていて、僕は遠い福岡県の海辺の町で、あの静かな山深い美しい土地で長年の夢を叶え続ける中岸さんのインスタグラムを毎日拝見して過ごしているのでした。
熊野古道が英会話教室
中岸さんは、僕がこれまで出会ってきた数多の英語学習者の中で、最も尊敬べき英語学習者の一人です。
中岸さんには、その英語を使って有名になるとか金持ちになるといったような、いわゆる世俗的な目標というのがありません。ただ純粋に、目の前にいる外国人にーご自身が愛する故郷を遠路はるばる訪れてくれた海外の方にーご自分が生まれ育った大好きな彼の地を、その自然と同じくらい豊かな歴史を、知ってほしい。
そしてもっと英語が上手くなりたい。その一心で今も英語を学び続けておられます。中岸さんにとって、熊野古道はまさに英会話教室なんです。
目の前にいる相手のことを少しでも知りたい。公共交通機関もろくにないこの辺鄙な場所までわざわざ何日もかけて歩いてやってくる人たちのことを知りたい。そのために、中岸さんは来る日も来る日も英語で彼らに話しかけ、英語で彼の地の魅力を語り、世界中に発信し続けています。
二度の脳梗塞を経験し、歩くこともままならない体で、それでもなお、熱い日も寒い日も、熊野古道に出かけて行ってはそこを通り過ぎていく人々に、思うように動かない身体を引きずって、英語で声をかけ続けているんです。
なぜ英語を学ぶのだろうか?
中岸さんは僕に、今からおよそ8年前、41歳にして英語を学び直そうと決めた時の、純粋な気持ちを呼び起こさせてくれる存在です。
中岸さんの情熱には足元にも及ばないけれど、僕もまた旅先で出会う世界中の人と言葉を交わしたい、そんな思いで英語を学び始め、その一心で英語を学びつづけました。
そして時に(多くは南米で)命の危険を感じるような目に遭って、文字通り命がけで英語を、言語を学んできました。旅をしながら、旅先で目の前にいる人と言葉を交わすために、自分を身の危険に晒さないようにするために、必死に英語を学んできました。
英語は本来、私たちの自己利益・収入を増大させるためのものでも、肥大した自我がもたらす承認欲求を満たすためのものでもありません。そのように仮象する英語もありますし、そのような英語との関わり自体を否定するつもりは毛頭ありません。
けれどそこで語られている英語は、「英語の形をした何か別のもの」であると言わざるを得ない。僕はそう断言します。
お金とか、地位とか。そう言うものがまだなかったはるか以前から、人は言葉を用いて、互いの気持ちを表現し、心をやりとりしてきました。
そのことを忘れ、英語を、言語を学ぶことをあたかもなんらかの経済活動、商品購入行動のように錯誤して全く恥じることのない人たちや、歪んだ自己承認欲求を満たすためのツールとして利用する人たちで今、この国は溢れています。これまでの自分自身も含めて。
そんな国の人たちが、英語ができるようになると思いますか?なるわけないじゃないですか。別に学校教育システムの失敗でも、GHQの陰謀でもありません(ちょっとはあるかも知れないけれど)。
僕たちはもう、「言葉を学ぶ」ということの本来の意味を忘れてしまっているんです。僕たちみんな、赤ん坊の時には知っていたはずの、根源的な欲求のことを。
心で語り、心で聴くことのできる英語学習者として
英語コーチとしてのキャリアを終えるにあたり、もう一度「どうして自分は英語を学んでいるんだろう?」と自分自身に問い直したたとき、真っ先に僕の脳裏に浮かんだのが中岸さんのことでした。
もう一度中岸さんにお会いしたい。そして願わくば、あの時よりほんの少しだけ上達した(かも知れない)僕の英語を聴いてもらいたい。そんな思いで、福岡から2日間かけて、紀伊半島の秘境熊野に中岸さんをたずねてゆきました。
熊野本宮大社に程近い、かつての熊野の聖地であった「大斎原(おおゆのはら)」で、中岸さんは僕を待っていてくださっていました。一年前のあの時と同じように英語を楽しむ中岸さんとの再会は、僕にもう一度「私はどうして英語学び続けるのか?」についての深い洞察を与えてくれたのでした。
83歳とは思えない、とても美しいアクセントで英語を話す中岸さん。中岸さんは僕の英検一級をして「雲の上のような存在」とおっしゃいますが、僕からすれば、英語はもとより英語に対する向き合い方、情熱、そしてそのひたむきさは、中岸さんの足元にも及びません。
だから中岸さんはこれからもずっと、僕の中で、目標とすべき英語学習者でいつづけてくれるのだろうと信じています。この人のようになりたいと思える、稀有な英語学習者として。
中岸さん、どうかいつまでもお元気で。そしていつかまた、今よりもっともっと上手になった英語で中岸さんに心を込めて、僕の英語を聴いてもらいたい。そして心を込めて、中岸さんの英語を聴きたい。いつの日か。そんなふうに願っています。
(以下の引用は、僕が中岸さんから依頼された紀伊民報の記事の英訳です)
English Conversation with Foreign Tourists
Mr. Nakagishi, of Hongu-cho, posting on Instagram
Akira Nakagishi, 81, of Hongu-cho, Hongu,Tanabe City, has been asking foreign tourists walking along the Kumano Kodo to share their impressions, and posting the videos he has taken on Instagram, a social networking site. He started this hobby this spring as a way to study English, and now has more than 300 people who enjoy talking with him. “Some people have told me that the videos have become a treasured part of their travels, and every day is so much fun." he says.
“Nice to see you! Where are you from?” Seeing foreign visitors in the vicinity of Kumano Hongu Taisha, a World Heritage site, he talks to them in English. After introducing himself, the fact that he is an official guide, and explaining the Japanese way of worship and the history of the Kumano Kodo, he takes pictures of those who agree with his purpose.
On the day a reporter accompanied Mr. Nakagishi, he photographed a group of five women from Australia in front of the Haraido Oji, a shrine near the Hongu Taisha, with his smartphone. When the reporter asked how they felt about his (Nakagishi's) English, one of them said, "Fantastic! I am not trying to flatter him," she replied with a smile.
Mr. Nakagishi, a longtime English teacher at a junior high school, started his Instagram this April. About a month earlier, while shopping at a supermarket in Shingu City, he was approached by an American customer who was there. He enjoyed speaking English for the first time in a while then. After that, he learned how to create his own account by looking at video-sharing sites.
He also wants to improve his "English for practical use," especially in listening and speaking. He says, "The people and the reporter I meet are so cooperative that I become very emotional .” When he posts videos, he writes his thoughts in English.
In July 2019, he suffered a stroke and initially had difficulty walking, but he continued rehabilitation and recovered. The coronavirus had cut off the opportunities to speak English with tourists until this spring. “In about five months, I have spoken to 300 foreign tourists. If I continue to do so every day, I might be able to reach 1,000.” His passion for improving his English has never ceased.
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![Ken Sugihara](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/48616647/profile_dcd64dbd29f4384d5d32f8c4284c934e.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)