そういう意味での普通じゃないは求めてない

普通じゃないとか特別でありたいみたいな願望は誰しもがどこかに持っていたりする。
普通じゃないって言われると嬉しかったり。
平凡とか世間一般的に当たり前とかで語られると何だか妙に残念だったりする。でも、そんな当たり前が当たり前に出来る。当たり前が当たり前であることを求めていることもある。

例えば多分、僕の今の年齢的に言えば「普通」は誰かと付き合ったことがあるだろうし、それどころか結婚して子供だっている。
そういう意味で、きっと僕は普通じゃない。
でも、そういう意味での普通じゃないは求めていない。

そこでは、世間一般の当たり前の常識的に冷静に考えて誰もが思うように自然に普通でありたかった。

もう今更普通には戻れない。
例えば、これでいつか、めちゃ若い子とか芸能人とかそういう子と結婚でもしたなら、凄いと言われるような、憧れられるような、普通じゃないと思ってもらえるのだろう。

普通に出来ることって、なんだろうね。
本読む人にとってはそれが普通だけど、読まない人にとってはそれは普通にじゃなくて努力してとか仕方なく読むになるだろうし。
よく言うように、好きで自然とやってしまう人に、努力してやろうとする人は敵わない。人それぞれの普通があるんだろうな。そして時代もさ。

多分、今はマッチングアプリとか婚活とかして出会うのも普通と言われるようになって、そして多分、そんな普通をしないから僕は普通から外れたのかもしれないね。

多分さ、仕事上で出会ったり、学生時代からの人とか色んな場で出会って結婚したりする。結婚したいというよりも、好きな人が出来て一緒にいたいから結婚になる。何だかこれが正規ルートだと思ってるんだろうね。自分の中の普通が変化してないの。
好きな人が出来たから、そこで初めて好きになってもらう努力みたいなものをしたりね。

でも僕は普通以下だから、努力して本を読む人のように、何だかファッション勉強したり、料理したり、出会いの場にマッチングアプリを使ったりして、結婚という目標のための努力が必要になるのだろうな。
でも多分まぁ、結婚したいという気持ちがそれほどないからそのために何かするということが無いんだろうとも思う。

まだまだ結婚が普通と思われる時代で、それが徐々に変わりつつあることだと思うけれど、結婚どうこうはさておいても、子供を作って育てることをしなければ、遠い未来を考えたときに駄目だろ…とも思っている。
自分より優秀な遺伝子を残すために生きているとか聞いたことがあるけれど、それはどうかとは思うが、でも、誰も子供を作らなくなったら地球は滅びるよなぁとか、それこそ動物の世界になるのだろうなとかね。

最終そこに行き着いて、誰もが普通にしているから地球は成り立っている訳で、そんなことが出来ない普通じゃない僕は、やっぱりどこかおかしくて、だから余計におかしい人だからと避けられて、結局一人。
それは普通の流れですよねと。

幼い頃描いていた普通になるためには、普通よりちょっと頑張らないといけないんだな。

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