エリクソン研究会記録『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』P219L12~P230L9 第32回
※本記事はめんたねにて2013年3月〜2017年6月まで行われたエリクソン研究会のメモ書きを文字起こししたものです。テキストは『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』を使用しました。メモ書きなのでテキストを読んだ前提でないと、わからない書き方になっていることにご注意ください。
また、エリクソン研究会では現在別のテキストの『2月の男』を読んでいます。
http://mentane.net/workshop/pg167.html
P=ページ数 L=行数
読んだページ数P219L12~P230L9
概要
エリクソンはペンシルべニアの精神科医とその妻の話をした。その精神科医は仕事熱心では無く長きにわたり精神分析を受け続けていた。エリクソンは夫婦にスクオーピークと植物園に交互に別々行かせた後、各々でスクオーピークか植物園か好きな方を選ばせ、いかせた。そしてエリクソンは夫婦に治療の終わりを告げ帰した。帰宅後夫婦は離婚した。
エリクソンはまた、別の話をした。催眠をテーマにした講演の依頼を受けた。講演で催眠デモをやろうと会場の病院に勤務していたベティという看護婦を催眠の被験者に使うことにした。しかし精神分析の治療を受けているという理由でベティを使うことを周囲からは反対される。だがエリクソンは反対を押し切って被験者に使った。催眠誘導では植物園、動物園、海岸に行く話をした。催眠のデモがおわるとベティは行方不明になったが、5年後またエリクソンの前に現れた。彼女は催眠誘導された後海軍の看護隊に入り、そこで現在の夫と出会い結婚し子供を5人産んでいると話した。
エリクソンはその話をしたあとで、患者は「心理療法が行われていることを知る必要がありません」と語った。
○治療法について
床を見ながら話すP219
参加者をトランス誘導に入れる狙い。参加者がそれぞれエリクソンが自分に向かって話していると錯覚させる。
P219後ろから7行目から
「さて、皆さんは訓練されてきて、心理療法を次の様に考えているます。患者の生育歴を調べ、その人の問題をすべて見つけ、それから患者に正しい行動様式について教えるという整然とした過程であると考えています。(グループに向かって)それは正しいですかね。間違いないの」
ワークショップに参加している生徒への言葉。
聴いた患者が自分はこうかも?と発見させる狙い。実際に上記の様に訓練された療法家がほとんどだろう。このあと出てくる精神科医に対してエリクソンは、問題を見つけて居ないし、患者の生育歴は調べないし、正しい行動様式については教えていない。しかし、問題は改善している。これまでの訓練で教わってきた考え方は違うと参加者に伝えたい。
正しい治療法の代わりエリクソンは何をやったか?象徴的だが指示的な療法をした。直接的な指示でなく、象徴的な治療法なら関係は切れない。内容が良くわからないので反発しにくい。
オープンカウンセリングの形式も同じ利点がある。司会者から参加者皆へ言う言葉はクライアントへの言葉になり、クライアントへの言葉は参加者への言葉になる。
Aにされた質問はBに言う
Bにされた質問はAに言う
わざとずらした物言いをして、聞いても意識で解らなくする目的だ。だが、解らなくても、その場にいるので出された言葉は、参加者に入ってくるので何かしらの形で残る。そのあと日常の中で自分で気がついた、考えたと思って芽が出てくる。
エリクソンがやりたいのはこういうことだ。エリクソンから教わらず、クライアントが自分で気がつく形を作りたい。そうすると自分で気がついたことは大事に抱え込んで放さない。
○問題のある精神科医の夫
P220真ん中
「砂漠がいかにもフェニックスらしい」
エリクソンの治療室はフェニックスにある。スクオーピークは砂漠の中の山。あの風景は特別ではないかもしれない。
夫はゼイクっぽい。本心から言っているのか?大したことないのに興奮している?普通に考えたら、フェニックスに来るまでに似たような景色だ。正直解らない。文字通りの意味なのか?夫は気づかないうっかりだとエリクソンは揶揄しているのか?読めない。
結論は出ないがクライアントの話を聞く上で注意することがある。クライアントからの報告にはこのひとは~と言っていると「」を付けることだ。言葉は全て真に受けない。語り方にもクライアントの性質が出るので。内容の真義はさておいて、語り方から世界観や価値観を見出すこと。
さて、エリクソンにとって記録を付けるというのは療法家にとって重要な仕事なのだが、この精神科医は記録を付けていない。エリクソンに言わせれば仕事を怠けている。
また、彼は週3回精神分析を受けている。精神療法家やセラピストには自分より上の治療者に、スーパーバイズという形で教育を受けることはよくある。しかしこれほどに受け続けることは依存的でおかしい。自己分析に耽溺している、私はどういう人間なのか?という事に興味が行っている。
奥さんは旦那に付き合って好きでは無い仕事をしている。仕事が上手く行ってないのか旦那は収入があまりない。旦那にはよほど問題がある。そして奥さんは精神分析も旦那に付き合わされている。夫は妻に付き合わせている。モラハラ夫。外面は良いが身内には間接的に雰囲気でNoと言いにくい形をとる。
エリクソンにこのタイプの症例はめずらしく貴重だ。催眠をやっているから変な症状をだす神経症が得意。境界例タイプは治療拒否のケースもある。境界例は違うタイプの人が上手い。自分自身も境界例の気があって上手く相手との線を引くことができる。神田橋條治など。しかし大抵は境が壊れて自分も持って行かれるケースが多い。
何故離婚の電話について取り合わなかったのか?
P233に「初めて彼らに会って、話を聞いた時からです」とあるように見通しは立っていた。このケースに関しては明らかに上手く行ってないから、エリクソンは別れた方が良いと最初から見切っている。
しかし、あまりエリクソンは直接的に手を出したくない。なぜなら旦那は依存的で何も学ばず、口では解りましたと言いながら自分の意見を通す。エリクソンの言葉を自分の意見を通すために利用することが目に見えている。もし、エリクソンが何かを言えば、「エリクソンが言っていたから」という形を取るだろう。そんな風に使われたくないのでエリクソンからは何も言わず、離婚は自分の選択でやったという形を取りたかった。
旦那の行動パターン
奥さんの真似
ドライブ
分析医のところでまくし立てる。
別の事をやる課題の影響を受けていて、別々に同じような事をやる象徴的は働きかけの結果夫婦別々に動く。
P219何故スクオーピークに登らせるのか?
感想の語り方。夫は夫らしく、妻は妻らしく。体験は当人の世界、ものの見方に沿う。受け取り方も同じ。何をやらせてもそのパターンは変わらない。普段ならやらない別の事。今回は夫婦別々に行動させる。
うんざりして、ののしって、しかし言われた指示は守る。奥さん語り方は夫婦関係のイメージに通じる。
旦那は「何度でも」と言うように繰り返す人「そこを離れるのがいやでした」旦那は離婚したくない。
P221 後ろから2行目
「わかりました。報告を聞けて、嬉しく思います。さあ、夫婦関係療法は終わりました。空港へ行ってペンシルバニアにお戻り下さい」と言われて夫婦はどう思うか。まず「え?」と思うはず。わざわざ時間と金を掛けて来たのに山や植物園に行かされただけで帰される。
だが、エリクソンの指示なら意味があるのだろうと思って、あの体験はどう言う意味なんだ?と反芻して考え始める。思いを巡らす。夫は特に自分の考え行動を深く考えたくない。だが、こういう扱いをされると考えざるを得ない。エリクソンが仮に指示なり言葉を与えていたら考えもせずその通りだと良いそうだ。自分の頭で考えさせる狙いだ。
どうして行動が変わるのか?
どのような形であれ、振る舞いかたの構造は一緒だ。新しい構造を言葉では無く、宿題で学ばせる。そして当人が読み取りたいことを読み取る。新しい構造をインストールされると行動の変化が起きる。
妻の報告面白い
やっぱり妻は言われたとおりにやるが、うんざりして、指示した相手を罵って自分も罵っている。「うんざりする時間」というのは夫婦関係のことを暗に語っている。「忌々しい山」というのもそうだろう。
こうしたことをやっていくなかで妻は妻で気がつく。こんなことを繰り返しても仕方無いと無意識が気がつき始める。無意識が気がついている妻の方から行動を始めた。
彼等がやっていたことは無意識的だ。さあ、考えるぞ!というものよりも、思わず頭の中に浮かんでぐるぐる回り続けるといったような無意識的なものをつくりたい。
何故最初に降雨後に別々に行かせ、最後には自分でえらばせたのか?エリクソンの働きかけに雪玉効果がある。小さいことから大きい事へ変化。いきなり大きい変化はついていけない。最初はエリクソンの指示で動かす。この人達は言われたらやる人。エリクソンの指示なのでハードルが低い。
自分自身の選択は負担を感じる。離婚にも指示が欲しい人たちだ。
それから少しずつ能動的で主体性を導入する。スクオーピーク山登り疲れる。「ただ願っていただけでした」という語りにも見られるがこれまで行動を起こさず、願っているだけだったのが、自分で選んで行動を起こしてその結果幸せになったという経験を学習した。植物園の方が楽ただしスクオーピークは登り切ると少し満足感を得られる。だけど満足しても嬉しいとは語れない妻。文句を言いながら自分で選んでいる。P223L2
エリクソンの言い方は常に間接的である。「私の隣に座って下さい」とは言わず、「私の隣空いてますよ、スペースを詰めて下さい」といったような。
座ると「何故そこに座ったの?」と聞く。そして「私は座って下さいなんて言っていないですよ」と言い出す。こうやって混乱技法にもっていくことある。
催眠トランス下での話は、手術の麻酔のようなモノだ。心の問題は普通の状態で取り扱うと痛んで負担が大きい。麻酔をかけて、取り扱える状態にする。
人からアドバイスをするとき
Aの考えからBにしたらいいといってBに変えられる人は心理療法はいらない
必要なのはA→Bのときに「でも...だって」と言う人。いままでAを信じて生きてきたので乗り換えるとAが間違いだったと認めなければいけない。自分は正しく完璧でありたいという人には辛い。白か黒か0か100かの人。
○看護婦ベティへの心理療法
人は赤ちゃんの頃はハイハイしているけど成長していくにしたがって、歩行器から三輪車、補助輪、自転車、原付自動車...と乗り換えていく。いつまでも三輪車の大人は居ない。時々で状況が変わり、必要なモノに乗り換えるみたいな話。
エリクソンがここでやってる話は、共通の構造を彼女が抱えていたら彼女が自分で読み取る。今まで自分の人生に喜びが無いと思って居たら喜びがある!と彼女自身が気がついて、さっさと行動しようと思い立たせ行動に移させた。
一本の木となって育っていく→エリクソンに再開したベティ
joy(英語で「喜び」)―カンガルーの名前は「joeys」で「喜び」にかけている。カンガルー、トラ、ライオンの親子の話→子供5人生む
「お乳をぐんぐん飲んで大きくなります」原文では「And so it nurses and nurses and grows」
→ナースにかけている
南アメリカへ渡る渡り鳥の話→フロリダ(南アメリカ)で除隊されたベティ
海岸→海軍
エリクソンが話した話の構造とメタファーがベティに影響を与えている。
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