エリクソン研究会記録『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』P169L16~P175L6 第25回
※本記事はめんたねにて2013年3月〜2017年6月まで行われたエリクソン研究会のメモ書きを文字起こししたものです。テキストは『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』を使用しました。メモ書きなのでテキストを読んだ前提でないと、わからない書き方になっていることにご注意ください。
またエリクソン研究会では現在は別のテキストの『2月の男』を読んでいます。
http://mentane.net/workshop/pg167.html
P=ページ数 L=行数
読んだページ数P169L16~P175L6
Q1.なぜ文章を写すことではれものが2週間で治ったのか?
Q2.「学校の先生もです」というのは、具体的に何を意味するのか?
Q1について
文章をいじる間はおできをいじれない?
いじる手を文章に向かわせる狙い?
A1
両親への反抗、反発心がおできをつつくことに現れて居た。
反抗心→おできをつつく
というエネルギーを
反抗心→文章を写すことに変化させ置き換えた。
何故文章を写すこと両親への反発心、反抗と言えるのか?
「ぼくが~と思う」自分の意志だという文型
エリクソンはこういうタイプのやり方を好む
子供の前でまず親をやっつける→子供とのラポールをとる
クライアントとしてやってくる子供は親と対立しているので
エリクソンも親と対立してやっつけることをする。
すると子供と同じく親と対立することになるので、子供とエリクソンの間には同盟関係が生まれる。
子供にとって有利な条件を提示する
子供が自分の意志でエリクソンの患者になるように仕向ける
子供は自ら患者になることにコミットすることになる。
めんどくさい文章写しも自分で親から離れるためにやっていることになる。
エリクソン指示で何かをやるのは親に対する反発になる
親に言われたのでは無く、エリクソンの指示を子供は選んでいるという感覚だ。
反発や反抗の為におできをつぶしていたのが、文字を写すことで心理的エネルギーが満足している。
千回じゃなくて百回なら治ってないかもしれない。十分疲れる課題であるから親への反発、反抗が発散する。
この場合課題が楽ではダメ親が「もういいじゃないか」と言っても反発して書き続ける。
こういった問題のエリクソンの見方不適切なエネルギーが向けられているとみる。
親も同じく不適切なエネルギーを向けている
親はおできを治そうとする。ケニーは親に反発しているのでよりおできを悪くしようとつつく
逆に親がおできを悪くしようとしたらおできはすぐになおるかもしれない
親はエネルギーの向け先が間違っていた。
おできが治れば勉強もはかどるのでケニーにエネルギーを注がなくなる。
もっと建設的なことに、ケニーと仲良くすることにエネルギーをそそぐ
先生も同じ成績の悪いケニーをバカにしていたが、成績が良くなるといい関係になる。
エリクソンはシステム論的な見方を意図的にはしないがけれども自然とシステム論的見方をやっている。
尾谷が病院出張でスタッフ教育をした時の話望みが大事ですという話をしたときに、ある女性のチーフ歯科衛生士の人が「すでにやっている。当たり前のこと、私はできている」といった。おそらくこの人は不安が強く防衛的わからないことを教わるということは、できていないことを認めることに等しい認めることが不安なのだろう。
こういう人に正面から言ってもうまくいかないので「よくできているのは、すばらしい」と褒め「でも、ほかの人はできないからお手本を見せてください」と言ってやらせてみる。
相手に望みを語ってもらって、相手の言っていることを文字通りそのまま言い返してもらうワークをやってもらったが、実際やるとうまくいかない。
そのあと自分のの望みをいう番になって、こういうことなのか!と気が付き解る急にそれまでの態度がひっくり返って一生懸命勉強をしだす。それまで彼女は問題ない、解っているんだという態度をにエネルギーを注いでいたがやってみること、学習することにエネルギーを向けかえた。
適切な方向にエネルギーを向けかえさせる一例
P172、P174L1
Q1視覚と聴覚を協応させるイメージがなぜおねしょをやめさせることにつながったのか?
Q2視覚(野球とアーチェリー)がなぜおねしょと結びつくのか?
Q3エリクソンはおねしょをしたくないということを何処で確認できたのか?
Q4なぜエリクソンは金切り声を叫んだのか?
エリクソンは原文だと、「濡れたベッド」「乾いたベッド」という言い方を好む。Not付きの望みはかなわないという、質問ワークで言われることにもかなっている。「おねしょをしない」という言いかただとおねしょのイメージが出てきてしまう。
Q4A4金切り声を叫んだ目的椅子に座らせて話を聞かせるためにラポールをとる
目的同じ金切り声を上げる同じことをやるそれだけで意味がある。
同じ大学出身、同じ地方出身、海外で出会う日本人などに私たちは他人であっても親近感を抱くはずだ。
若いころのエリクソンはよくあちこちを旅していた。各地の家に立ち寄って一晩泊めてくださいとお願いすることをしていた。エリクソンはある農家に仕事を手伝うので一晩泊めてくださいとお願いをした。農家の主人は人手が足りているから無理だと最初は断られた。その農家では豚を飼っていて、エリクソンは豚の背中を板切れか何かで掻いてあげた。農家の主人はそれをみて、豚の背中の掻き方がわかるのか!よし泊って行けとエリクソンに言ってエリクソンは農家に泊まることができた。
農家の主人は豚の扱いをよく知っていて、エリクソンが豚の扱いに慣れている行為をやったときにラポールが生まれた。
他にも意味がある十分に金切り声を上げることはエネルギーの発散にもなる
順番に交互に声を上げるこうすることで声を上げる行為を意識的にさせることができる。
声を上げることの意味文脈がちがってくる。
今までは、ガードのための金切り声だった。これからは、エリクソンと子供が相互に行う協力型のゲームになる。協力型のゲームになると敵対関係がなくなる。
最初エリクソンは敵だと思って男の子は部屋に入ってくる。これはカウンセリングにも言えることで、クライアントは基本敵対関係の人間関係を持っている。
それをいかに協力関係に変えていくかがカウンセリングの技術になる。子供が息継ぎをするときに声をあげるのもミソ。
尾谷が出張の時に相談されたことでこんな話がある。べらべらしゃべる患者がいて、どう話を切ったらいいのか?
相談者は話の切れ目が見えていない人間は呼吸をするので呼吸する瞬間にポンと話を挟むと相手の話が切れる。エリクソンがやったことも同じ。子供が息継ぎをするときに声を上げると子供の声が切れる。
なぜ成功しているのか?ペーシングとリーディングペーシング同じ金切り声をあげるから。スタート地点は同じ。同調。
リーディングは一カ所合わせて変化の要素を加える。交互に声を上げる新しいルールを追加した。
男の子が声を上げるタイミングでエリクソンは「君の番だ」と言って金切り声を上げさせる。エリクソンに対する反発から同意に変化。敵対関係から協力関係に移行する。
金切り声という同一性で変化のための橋渡しを行うエリクソンお得意のパターン
尾谷が神戸の病院見学に行ったとき
泣き叫んでいた子供に対して、ドクターと衛生士が「こわくないから」と言って椅子に座らせようとしていた。しかし子供は怖いから泣いているのであって、「こわくないから」と言っては、子供と不一致になりより泣いてしまう。
「こわいよね、こわいのはいやだよね」「気分いいのがいいよね」という物言いが入り口としてよい。相手の脳内スクリーンに合わせて言葉を選ぶ。
尾谷はドクターと衛生士の2人に指示を出した。
黒い椅子に子供は座っている診療台は嫌がって怖がる。器具を口の中に入れるのも嫌がるレントゲン室に入れようとしても入らない。
子供の恐怖のパターンは、今までやっていいない新しいことは、不安場所に対して恐怖―チェアの上と紐づいている。
レントゲン室ー黒い椅子は保護者用の椅子安全と紐づいている。すでにできていることを拡大する。
ドクター、衛生士用の丸い椅子を黒い椅子に並べさせる座り替えのゲームを子供にやらせる。
「丸い椅子には座り替えられるかな?」自分でまずやって見せて、次に子供に順番にやらせる子供がやったら「いいね」と褒めてあげる椅子に座り替えることに慣らす。
丸い椅子は回転する椅子で、子供が丸い椅子に座ったら回したり、前後に動かしたりする。子供はうれしくなってニコニコする。椅子に座ることが怖いことだったものをゲームの文脈に置き換える。
診療台に関して子供にこう説明する。「この椅子は特別で上がったり下がったりする」と。「座れる?」と子供に聞く子供はおそるおそる座ってすぐ降りる。座ったので「いいね」と褒める。
また元の椅子に戻る。今度は椅子に座って上下に動かしてみる子供はまたすぐに降りる。
座ったのでまた「いいね」と褒める。
こうした手順を踏む。その上で「今度は診療台の上に横たわってみようか?」と聞くと子供は横たわることができた。
子供にとって怖い文脈を楽しいゲームに置き換えた。恐怖を他のことに集中させ注意をそらすと子供はのってくる。
エリクソンに反発するには金切り声をやめるしかない大人も同じ。
対立的な相手がやっている規則ルールを協力的なものにかえるか?が重要
Q5弟の話はどのように利用されているのか?
A5弟への反発、対抗心があり、コンプレックスるがある弟より優れていて自信が持てる分野をつくってやらないと。
素早さ、器用さで有利おねしょのはなしにつながるQ1,Q2にも関連する話
アドラー心理学で兄弟が出来の良い子悪い子に分かれる話がある。
長男が優等生なら次男長女は悪いことをしたり愛嬌を持ったり他の人がやっていないことで親の注目を集める。
おねしょ=膀胱の協応動作バランスがうまく取れていればOK
バランスがうまく取れてなければおねしょになるなので協応動作がうまくいっているものでつなげてアナロジーを伝える。野球、アーチェリーの筋肉の協応動作は既知、すでにできることなので、それを活性化させ未知である膀胱(おねしょ)の筋肉の協応動作に広げる。
Q3A3シンプルに考える。尾谷が塾の先生をしていた頃、勉強ができないよりもできたほうがいい、解ったほうがいいという子供が大半だった。おねしょも同じできればおねしょはなおしたい様子を見ていればわかる。
たとえば人づきあいが苦手だという人がいるとする困ったことの具体的なエピソードを聞きそれがどうなったらいい?と聞くそのことについて解決すると、ほかのたいていの人付き合いも大丈夫になってくる。
その人にとっての対人関係の共通のパターンがあり、変化したパターンがほかの付き合いにも適用される。
エリクソンのアナロジーのパターン共通構造を理解することにある。
視覚と筋肉を寝ているときの体感覚、協応動作に広げていく視覚の話を出したのは子供にとってわかりやすいからだ。
「科学的」という言葉について。
弟は筋肉バカ。両親は敬虔なクリスチャン。お祈りじゃなくて、科学的なやりかただと、親への反発もできる。科学的という言葉は弟とも両親とも相反するものだからだ。
エリクソンはネガティブな感情も使う。使えるものを使う。犯人探しをしてもうまくいかない。被害者ポジションでは解決しない。どのようにしたらうまくいくのかという視点で治療にあたっている。
P174L2
暗示は当然こうだろうと思って働きかけて初めて効く。子供の大人になりたいという思いを利用基本的に大半の子供は大人になりたがるもの。
不健全な子は大人になりたがらないので見極めも必要だが。
P174真ん中より
ジャッキーへのYesセット。でもね~をいれる為のYes
にらみながら立っていたことからジャッキーは健全な子供だと見極めた。
不健全=両親を退出「ジャッキー」にもジャッキーに聞かせるため。
注目を集めるため親が干渉できないのはジャッキーによってよいこと。
P174後半から
エリクソンは、両親のほうを向いて、両親に対して批判の言葉を投げる。
ジャッキーは両親に反発しているので、そうだそうだと思ってエリクソンの話を聞く。
イエスセットから入る。さらにジャッキーの症状も「してほしいのです」といって味方のポジションに入る。
「ご両親はとめないでしょう」
とエリクソンは言う。エリクソンが言った通りになるからここでの暗示が効いてくる。
この後で両親がとめてきたら暗示が効かない
だから、エリクソンはこの働きかけをする前に両親に指示を出している。
事前準備、親への工夫が必要になってくる。
イエスセットでつなげて最後に
「もちろん君が7歳の大きな子供になったら~」という
噛んでもいいししゃぶってもいいけど、7歳になると噛まなくなるよと。
前提として、指しゃぶりや爪を噛まなくなること含んでいる。
P175
「(サリーに)~」のサリーへの言葉
エリクソンのサリーへの言葉はサリーがトランスに入っているかどうかを考えさせる言葉になっている。トランスという単語がでれば、単語レベルでもトランスについて考えざるを得ない。エリクソンは特定した暗示のほかにも、相手に喚起を呼び起こす、ふわっとした物言いをする。
車酔いする男の子のへの働きかけ。
尾谷が家庭教師をやっていた頃に受け持っていたクライアント。中学受験を控えていたが電車に乗ると酔ってしまう症状。君は子供だから電車に酔うことができる大人になると強くなって酔えなくなる。だから大人はお酒を飲んで酔うんだ。さびしいんだよ。君は子供なので十分にできるだけど。中学生の年には酔えなくなる受験して中学生になれば定期の範囲内で寄り道もできる。ゲーセンによって不良の経験もできる。
高校生にもなれば旅行にも行ける沖縄に行ったときに旅行している。
高校生の男の子にあったことがあるいろんなところに出かけられる。
話をする前に海外旅行のパンフレットを待ち構えて広げていた話の入りとして君行くならどこにいきたい?と聞いてみた。
大きくなったら好きなところへ行ける喚起して伝える。
モチベーションを上げる。他にも電車の中にはチカンがいるから、君は女の子を守るために電車の中でチカンがいるか見張らないといけないといけないと伝える。電車の中でチカンを注意深く探すようになり酔うことから意識がそれる。セッションの日も電車に乗ってきているので実は電車には乗れているはず。なので気をそらせばいい。酔うことに意識を向けさせない。
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