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【輪舞曲物語】-ロンドの生い立ち-

前回書いたブライダルDJとは違い、本業であるイタリアンの方のお話✍️

OSTERIA RONDO
オステリアロンド 
これが自分の城となるイタリアンの名前

オステリアはイタリアンの中で居酒屋という意味。
よってロンドの方が名前となります。
(よく業者さんにはオステリアって書かれて腑に落ちませんが🤔)

名前の由来となっているのはタイトルにもある「輪舞曲」
音楽形式の名前で、主旋律を繰り返すもの。

この名前に辿り着くのにはそう時間がかかりませんでした。
元々「輪舞曲」というワードは知っていてどんな意味かもある程度はわかっていました。

繰り返し色んな方に来ていただきたい。
そして漢字の通り輪になって踊るように、人と人とが繋がっていけるお店にしたい。

そして前回書いたDJという仕事もあってこの名前になりました。

あとは円になるというのが名前にも繋がるし、ロゴとして横に蓮の花(自分が描いたもの)があるのですがこれも花言葉は下の名前に関連があって、考えれた時にはデザイナーさんも興奮したものです😎

そんなイタリアンをオープンして現時点で7年目。
正確には6年と半年。

沢山の出来事がありまして、それを順につらつらと書いていってやろうかなと思ってます✍️

お店を開くことは誰にでもできる。
ただそれを継続させていくことの辛さや、ただ継続させていくだけでなく沢山のトラブルも乗り越えての今。

自分は料理人、でも経営者。
この言葉に何度も頭を悩ませる。

器用なようで器用でない感覚人間な自分は、本当に沢山の方に叱られてきました。

ただそこで自分を殺すなんて事が出来ないし、そんな事が起きるならお店自体するべきではない。
収まりのきく人間なら雇われていた方が本当に幸せだと思いますよ。

お店の開店自体が奇跡と言える自分は、とある人との出会いによってお店を出すこととなりました。

何気なく用事があって行った銀行にて、窓口での世間話からお店を開店することになったのです。

そもそも融資なんて受けられるはずのない自分でした。
お店を出すなんて考えが頭には1ミリもなく、相手側からの提案を聞いて最初は騙されてるか事の重大さに気づいてないんだろうなと鵜呑みにはしてませんでした。

その日帰ってから妻にその銀行員との事を話し、銀行員であるAくんに「また明日にでも改めてきてください。」と言われた事を伝えると

「試しに行ってみたら?別に無理かもしれないところを可能性があるなら行ってみたらいいやん。」

そう言われて次の日に恐る恐る銀行へ。
Aくんに自分の現状を世間話ではなく事細かく伝えて、その上で無理だろうと促すと彼は「いや、なんとかなるので全て僕の指示通り動いてください。」そう言われた僕はその指示通り動きながら準備を始めて行きました。

中々心臓に悪い綱渡りをしたと思っています。
けれどその出会いから半年後…
自分はお店を構える事ができました。

細かな部分はここには書けませんのでどうしても気になる方はお店にて🙌

ただ、本当に彼の言った通りお店を持つことが出来たことは奇跡だと思ってます。

しかし世の中そんなに甘くはない。
ここからが自分が過ごしてきた人生の中でも中々のハードモードに入ることになります。

最初の一年。

その一年を言葉にするなら簡単
「地獄の日々」
何度死のうと思ったか…

続きはまた次回の【輪舞曲物語】にて✍️

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