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【哀れみはいらない】全米障害者運動の軌跡 part 2

どうも、おっさーです!
今回は、アメリカにおける、ポスターチャイルドとテレソンのお話になります。
このお話はこちらの本を参考としています。

哀れみはいらない:ジョセフ・P・シャピロ著

前回のお話はこちら↓↓↓
『【哀れみはいらない】全米障害者運動の軌跡 part1
障害は他人を勇気づけるために乗り越えるものではない』

ポスターチャイルドとは、

寄付や支援を募る目的でポスターやその他のメディアで使用されている、何らかの障害や病気に苦しんでいる子どものこと。

をいいます。

また、テレソンとは、

テレビとマラソンを組み合わせた造語で、テレビ放送を通じておこなわれるチャリティーイベントのこと。数日間といった長時間にわたって放送され、有名人が出演し、視聴者から寄付や支援を募る。

日本では24時間テレビがこれにあたります。

最近、日本でも24時間テレビの存在に対しての議論が出てきていますが、アメリカでは、それよりももっと前から存在していました。
ポスターチャイルドやテレソンの良い点としては、もちろん、多額の寄付を集めることができるという点にあります。
一方で、障害者に対する偏見や固定観念を助長するといった点で、多くの問題も指摘されています。

シンデレラだと思ったのに

慈善事業募金ポスターのモデルに選ばれた子どもたちは、必ずといってよいほど人々の哀れみを誘います。
寿命を縮めてしまう病状や、生まれつきの身体上の欠損、幼少期の心の傷。
ポスターチャイルドは数々の過酷な「運命」にもかかわらず、ポスターの中でにっこりと微笑む。
愛くるしいと同時に勇敢なこの子たちほど、障害者の象徴としてアメリカ人に愛されるものはありません。
でも、この子たちは無垢の犠牲者といえるのです。

1956年、5歳のシンディは、ミズーリ州セントルイスのある慈善事業団体の寄付キャンペーンのためポスターチャイルドに選ばれました。
彼女はこのとき、シンデレラにでもなったかのような心地でした。
写真家がわざわざ遠くニューヨークから飛行機でやってきて、フリルたっぷりのかわいいドレスを彼女に着せてくれ、地元の市長がお祝いしてくれました。
勇気をふり絞り松葉杖にしがみついて微笑む彼女の写真は、町の中心地の大きな広告塔にも使われました。
テレビにも出演。
撮影前、演出家から普段使っている杖を落とせと指示され、動揺し、泣いてしまいました。
でも、テレビカメラを前にした彼女は言われた通りに舞台の上で杖を落とし、そのままよろよろ2,3歩歩きドシンという音とともにころびました。
ドラマの主人公として「大成功」を収めたのです。
彼女の姿は人々の心を打ち、財布のひもを大いにゆるめさせました。

そこから2、3か月後、シンデレラ気分を現実に引き戻す衝撃的な事件が起きます。
シンディがある日学校へ行くと、担任の先生がポリオ(脊髄性小児麻痺)予防ワクチンのお知らせのチラシを皆に配ったのです。
そのお知らせの一番上には、「ポリオにかからないように、皆さんワクチンを受けましょう」と書いてある。
チラシ写真が2枚あり、1枚目には、男の子と女の子のきょうだいが手をつないで楽しそうにスキップする姿が、この写真には「これです」と印字されていました。
そしてその隣には、フリルつきのドレスを着たやや険しい表情をした松葉杖の少女が写っていました。
自分だ。
「これではありません」という文字が印刷されている。
シンディは、恥ずかしさのあまり椅子からころげ落ちそうになりました。
心がずたずたに引き裂かれ、「私はまったく価値のない人間」とさえ感じました。
誰にも気づかれないでと願ってももう遅い、学校中の皆が知っているのです。
絶望のどん底で彼女は気づきました。

今までもてはやされていたのは自分が素晴らしいからではなく、ポリオだったからだ。自分はまわりから恐れられていただけだったのだ。

引用:p24

障害者は子どものように人に依存しなければならない存在で、慈善や哀れみを必要としているという見方。
こんな障害者観は、今や障害をもった人たちによって真っ向から拒否されています
今、彼らが求めているのは、哀れみではなく、権利の獲得なのです。
シンディにとっては、ポリオにかかって車いすに乗るようになったこと自体は悲劇ではありません。
レストランに行ってもアクセス不備のため中にはいれなかったり、劇場に行っても入場拒否されるとき、そこで初めて悲劇となるのです。

施しを乞わなければいけない哀れな存在なのか

ブッシュ政権時の社会政策の優先事項に障害者の権利確立を盛り込ませたエバン・ケンプ・ジュニアは1947年、12歳のときに病に倒れました。
当初デシャンヌ型筋ジストロフィーと診断されましたが、28歳になってクーゲンベルグ・シンドロームと言われ、最終的にそれが正しい診断とわかりました。
ケンプの両親は、オハイオ州クリーブランドで、史上初、テレソンといわれるイベントに乗り出しました。

1966年から、このテレソンの全米版を有名なエンターティナー、ジェリー・ルイスが担当するようになりました。
彼のテレソンで取り上げられた子どもたちは「ジェリー・キッズ」とも呼ばれ、人気者に。
ケンプは初代のジェリーキッズでした。
多額の寄付を集め、後を追って、様々な団体がテレソンをおこなうようにもなりました。

でも、元ジェリー・キッズのケンプは、テレソンを厳しく批判します。
筋ジストロフィーの障害者に対する固定観念を助長しているにすぎないと思うからです。
筋ジスは悲劇。だから筋ジスの障害者は永遠の被害者。
この固定観念こそが、障害をもった人々を何よりも傷つけてきたと彼はいいます。

1981年、ケンプはテレソンに対しての批判を『ニューヨークタイムス』の投稿欄に寄稿しました。

テレソンは、障害に対する恐怖をあおることにより、障害者そのものに対する恐怖もあおっている。
哀れみと戯れることによって、より多くの寄付を募ることは確かに可能だ。が、同時にそれは、人々と障害者の間にたちはだかる恐怖の壁をより高く厚くしていることに他ならない。
テレソンは、いたいけな子どもたちだけに注目しているため、障害者が社会で認められるのは子ども時代だけと主張しているのも同然だ。障害児は人の心に訴えかける存在で、抱きしめたくなる魅力をもっている一方、大人の障害者は単なる避けるべき存在になっている。

引用:p35

そういえば、ぼくも久しく24時間テレビは見ていませんでした。
障害のある娘を授かってからはとくに。
「かわいそうな障害者が勇敢に、必死にがんばっている。その姿に感動した健常者が哀れみの心で寄付をする」
こういった障害者の扱われ方に、自分の気持ちが苦しくなってしまう部分があるからだと思います。
芸能人が力を振り絞ってマラソンに挑むのは、確かにすごいことだと思います。
それにより注目を集め、寄付を得ることができるのだと思います。
でも、芸能人がマラソンをすることが、障害者たちの生活と何の関係があるのだろう・・・
大切なのは、お涙を頂戴しておこぼれに預かることではなくて、障害者の人権、公民権が守られ、社会のバリアが取り除かれ、社会の一員として偏見をもたれることなく生活できることではないか。
そんな思いが、どうしても出てきてしまいます。

変化の兆し

このようなテレソンへの批判の声がありながらも、多額の寄付金を集められるテレソンでは、相変わらず「哀れみと戯れるやり方」は変わりませんでした。
番組では、病気にかかる恐怖や障害をもつことのみじめさ、不幸にも若くして死んでいったおなじみジェリー・キッズの話がはじまります。
かわいらし微笑みと底抜けに明るい性格の障害者が登場、病気という悲劇をより哀れみ深いものにして見せます。
そんなやり方を批判する障害者がより大きな声をあげはじめるには、その後約10年という歳月が必要でした。
すなわち、障害をもつアメリカ人法(ADA)が1990年に成立して初めて、障害者の問題を権利の問題として捉える気運が高まったのです。

ぼくは、障害者をかわいそうでお恵みが必要な社会のコストとして捉えるのではなくて、経済活動に参加する仲間として、戦力として活躍してもらうことが重要だと考えています。
それが、障害者にとっても、社会にとってもお互いにWIN WIN の関係になり、そのために社会のバリアを取り除いていく。
どうしたらそんな世界がつくれるのかというところを、必死に考えていかなければいけないのではないかと。
その点では、テレソンが発信する障害者観には正直モヤモヤする部分もあります。
ベテラン司会者が涙を流して「感動です!」と叫ぶ姿に、冷ややかな思いを抱いてしまうのです。

まとめ

日本でもテレソン(24時間テレビ)はありますが、アメリカのように批判されているということはないように思います。
やはりアメリカでは、人権、公民権といったところの意識が強いんだなということを感じました。
結果として、障害者自身でADAを成立させられる国アメリカ。
この意識と行動力は、日本人である私たちも見習うべき部分があるのではないでしょうか。

哀れみはいらない:ジョセフ・P・シャピロ著


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