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刑務所しか居場所のない障害者たち PartⅢ (美しい福祉から漏れる障害者たち)

(2020.12.05 投稿)

どうも、おっさーです。

今回は、「刑務所しか居場所のない障害者たち」の Part Ⅲ となります。

身寄りのない知的障害者が、社会のセーフティーネットから漏れ、刑務所にしか居場所がなくなってしまう問題について、福祉の視点から見ていきたいと思います。

この記事はこちらの本を参考としています。


この本の著者は、このような方です。

山本譲二(やまもと じょうじ)

獄中体験を描いた『獄窓記』が新潮ドキュメント賞を受賞。障害者福祉施設で働くかたわら、『続・獄窓記』、『累犯障害者』などを著し、罪に問われた障害者の問題を社会に提起。NPO法人ライフサポートネットワークや更生保護法人同歩会を設立し、現在も高齢受刑者や障害のある受刑者の社会復帰支援に取り組む。PFI刑務所での運営アドバイザーも務める

障害者と認めてもらえない障害者たち

著者は、議員時代に何度も福祉施設に足を運んでいましたが、そこで出会うのは重い知的障害のある人ばかりで、彼らのような人たちだけが知的障害者だと思いこんでいました。

しかし、医学的には、知的障害者の大部分が軽度の人たちなのです。

彼らは自由に歩くこともができるし、会話もできます。

見た目では知的障害者であることがわかりません。

だから、療育手帳の判定基準を満たさず、知的障害者として認められていない人が多い。

ここに、軽度知的障害者の苦悩があります。

療育手帳を持っていないから、福祉の支援はほとんど行き届かない。

一般社会の中で “障害のない人” として暮らさなければならないから、周囲はただの「変わり者」として接してきます。

よくテレビで見るのが、いわゆる「ゴミ屋敷」を作ってしまって、レポーターから「片付けるって約束したじゃないですか!」と説教されている人です。

じつは多くの場合、なんらかの障害がある人なのです。

レポーターにどんなにきびしい言葉を向けられても、障害が原因なので、片づけることができません。

障害を認めてもらえないから、手を差しのべられる対象ではなく、排除の対象になってしまいます。

そして、だんだんと社会の中で孤立して、犯罪を犯すリスクがたかまってしまうのです。

軽度の障害者だけでは福祉施設が運営できない

“障害があることを認めてもらえず、福祉の支援を受けられない。結果、軽い罪を犯して刑務所に入ってくる人が多い”

著者は、この問題に関して、元厚生労働省の障害福祉の責任者で、長年生活保護制度やホームレス問題にも取り組んできた人と話をしました。

その彼は、悲痛なおももちで頭を下げました。

「申し訳ない。自分たちは”美しい福祉”しかやってこなかった。ほんとうは、もっと大変な人がいることをうすうす感じていた。刑務所の中に障害者がそれほどいるとは、痛恨のきわみです」

彼の言う”美しい福祉”とは、重度障害者を中心とした福祉制度のことです。

障害が重くて寝たきりに近い人なら、つねに見守っていなくても、事故や事件を起こしたりする心配もありません。

また、重度の障害者を受け入れた福祉施設は、一人あたり日額4万5000円くらいの高い報酬額が得られます。

一方で、軽度の障害者は、身のまわりのお世話はほとんどいらないけど、自分で自由に行動できるから、つねに誰かがそばにいる必要があります。

外見では障害がわからないから、お世話をしていてまわりから褒められることも、まずありません。

それどころか、「変な人と一緒にいる」と避けられてしまうことが日常茶飯事です。

それにも関わらず、福祉施設に入る報酬は、一人あたり日額1万7000円くらいです。

福祉施設としては、軽度の障害者を受け入れても、あまりメリットがないというのが現実なのです。

この背景には、日本の障害者福祉のきびしい財政状況があります。

日本の障害者福祉予算は年間約1兆円。

GDPに占める障害者福祉施設予算の割合でいえば、スウェーデンの9分の1、ドイツの5分の1、イギリスやフランスの4分の1、そして、社会保障制度が不十分だと言われているアメリカと比べても、2分の1以下になっています。

先進国の中で障害者福祉施設にこんなにお金を使ってない国はなく、国として障害者福祉を軽視しているとしかいわざるをえないのが現状です。

障害者の「自立」はだれのためのものなのか?

世界の障害者福祉は共通して「脱施設、地域移行」に向かっています。

これまで福祉施設に入っていた障害者も、できるだけ地域社会で暮らそうという方針です。

日本も、この流れに乗ろうとしています。

その考え方自体は素晴らしいことです。

ただ、日本の現状を考えると、知的障害者がますます福祉サービスを受けにくくなっており、実際に問題が噴出しています。

日本では、2003年に福祉の基本スタンスを「措置制度」から「支援費制度」に大転換しました。

“措置”というのは、「弱い人に、行政が施しを与えますよ」というような上から目線のニュアンスがある言葉です。

措置制度の時代は、障害者が福祉サービスを利用するとき、行政が利用先や内容を決めていました。

それが、支援制度になってからは、障害者が自分で福祉サービスを選び、事業者と個別契約を結ぶことになりました。

自分でサービスを決められるのはよいのですが、行政が仲立ちしてくれなくなったことで、問題が起きています。

ある裁判官が言っていました。

「”契約”になってから、福祉が冷たくなった」

措置の時代は、軽い罪を犯した知的障害者の裁判で、裁判長が「福祉施設に入って更生しなさい」といえば、自治体の福祉担当者が福祉施設に話を通して、入所できるところも多々ありました。

ところが、契約の時代になってからは、知的障害者やその家族が、自分たちで福祉施設を探さねばならなりません。

行政があいだに入らないから、契約を断る福祉事業者が増えました。

悲しいことに、現状では、障害のある人が福祉事業者を選ぶのではなく、福祉事業者が障害者を選別する、そんな福祉になってしまっているのです。

2006年に「障害者自立支援法」が施行されてからは、ますますその傾向が強くなりました。

この法律は”ひとりで歩いたり食事をしたりできるなら、働いて自立しましょう。そのための援助をします”というのが表向きの目的です。

でも実態は、軽度や中度の障害者が福祉サービスを使いにくくなりました。

その結果、「福祉に使う予算が抑えられる」と、まるでそのことを目的にしたかのような法律でした。

自立支援とは名ばかりに、それまでなんとか生活できていた人たちが困窮する結果となり、

障害者団体が批判の声をあげ、裁判にまで発展しました。

さすがに国もマズイと思ったようで、2013年に障害者自立支援法が廃止され、かわりに「障害者総合支援法」になりましたが、名前が変わっただけで、問題はほとんど解決していません。

軽度知的障害者たちは、社会の中でどんどん住みづらくなっています。

ほんとうは支援を必要としているのに、「自立、自立」と追い立てられ孤立し、結局のところ排除されています。

そして、その先にあるのが刑務所なのです。

一体、だれのための、なんのための「障害者の自立」なのでしょうか?

まとめ

今回は、刑務所の福祉施設化の問題に関して、福祉の視点から以下の問題を取り上げました。

  • 軽度知的障害者が、障害者として社会から認めてもらえず、福祉サービスを受けられない

  • 福祉施設が、軽度知的障害者をあまり積極的に受け入れたがらない

  • そこには、日本の障害者福祉予算の厳しい財政事情がある

  • よって、障害者たちは、「自立、自立」と追い立てられ、結局のとこ排除されてしまう

このようにして、行き場のなくなった軽度知的障害者たちは、最終的に刑務所にしか居場所がなくなってしまうのです。

我が家の娘は重度の障害児なので、障害者福祉サービスは、いわばフル装備です。

我が家のような重度の障害を抱える人たちよりも、軽度の人たちの方が、問題も少ないし、将来も見通せるものだとばかり思っていました。

ところが、軽度の人たちが障害を認めてもらえず、障害者福祉サービスがじゅうぶんに受けられなかったり、生きづらさを抱えて生きていかなければならないことを知って、一口に障害者といっても、問題やつらさは、さまざまなんだということを思い知らされました。

そこで次回は、これらの問題の解決に向けて、社会がどのように変わっていかなければいけないのか、現状ではどのような取り組みがされているか、に関してお伝えしたいと思います。

問題を理解した上で、では、実際にはどのようなアクションをするのか、という部分のお話となります。

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