
涙のわけは (娘のてんかん発作と家族の想い)
(2021.11.21 投稿)
みなさんこんばんわ、おっさーです。
わが家では、重度脳障害のある5才になる娘を育てています。
娘には、脳障害からくるてんかん発作があります。
今回は、そんな娘の状況と、家族の想いについてお話したいと思います。
この記事を書くことで、自分自身の想いを再確認し、前へ進めるようになるためにも書かせていただきました。
てんかん薬大量投入
娘は、生後すぐに大発作を起こしました。
緊急でさまざまな検査をおこなったところ、「左脳前頭葉の広い範囲で脳出血による壊死がある。どうやら胎内にいた頃から出血していたようだ」との診断でした。
その後、発作が止まらないということで、てんかん薬を次々と増薬。
フェノバール、テグレトール、レボトリールをそれぞれ最大量まで処方され、これ以上増薬できないというところまで投与しても発作はおさまりませんでした。
藁にもすがる思いで、出生した総合病院から、てんかんの専門病院である静岡てんかんセンターへ転院をしました。
静岡てんかんセンターで救われる
静岡てんかんセンターでは、3日間に渡る長時間脳波検査やMRI検査など、あらゆる検査がおこなわれました。
結果、「てんかん波は認められない、発作に見えている症状は生理現象」という診断結果に。
この結果に僕らは驚きましたが、それを受けて薬を少しずつ減薬、最終的にはテグレトールだけにして、それも最小限まで減らしました。
その後発作もなく、いつ断薬しようかなんて話もしていたほど。精神的にも穏やかで、家族皆、穏やかな生活ができていました。
発作再発
ところがその後、検査のたびに少しずつ脳波が乱れはじめ、ついに4才を過ぎたところで発作が再発。
医師の話では、「身体の成長に伴い脳波も強くなってきているからだろう」とのことでした。
その後は、発作が起きるたびにテグレトールを増薬。
増薬すれば一旦は発作がおさまるのですが、一か月程度でまた再発、また増薬。
こんなことを繰り返しました。
今はテグレトールに加え、2剤目としてイーケプラも飲んでいますが、発作を抑えられてはいません。
一日中泣き続ける娘
同じ障害を抱える子どもを育てるといっても、発作があるとないでは、難易度がまったく違うということを実感しました。
娘は、一度発作が起きると一日中泣きっぱなしになってしまいます。
こうなるともう、一日中電話が鳴りっぱなしと同じような状態に。
一番苦しいのはもちろん娘ですが、娘が苦しそうにして泣く姿を一日中見守る家族の負担も、相当なものがあります。
正直言って、気が狂いそうになります。
娘はしゃべることができないので、痛いのか、気持ちが悪いのか、精神が不安になっているのか、なぜ泣いているのかもわかりません。
救急で病院にも何度か行きましたが、打ち手なし。
ただ寄り添うしかできないのです。
どう向き合っていけば・・・
発作に苦しむ娘、そんな娘が苦しみ泣く姿を見守りながら、寄り添うことしかできない僕と妻や息子。
この先娘はどうなってしまうのか、家族はどうなってしまうのか。
不安と心配で、気持ちは沈んでいきます。
「この状況とどう向き合っていけばよいのか。。。」
僕は、娘が産まれ、はじめてこの手で抱いたときのことを思い出しました。
「そのとき、こう誓ったはずだ」
「この先の人生でどんなことがあろうとも、自分の命に代えてでも娘には幸せになってもらうと」
「それは、障害があるとかないとか、どれくらい重度かとか、そんなのは関係ないじゃないか」
「発作がなければ幸せにできるけど、あるからできない?条件付きの誓いだったのか?」
「発作が止まる止まらないに関わらず、娘と家族の幸せを最大化する。それを自分の命あるかぎり、娘の命あるかぎり、愚直にやっていくだけだ」
「もし娘が、僕より先に自分の一生を終えるとしても。。。」
そう考えました。
僕はいつも心に留めている大切な言葉があります。
それは、
「自分の力で変えられないものは受け入れて、変えられるものに全力を尽くす」
というものです。
痛みは受け入れながら、前へ進むしかない。
そして、必死にもがき続けた結果、最終的には誰もがみんな死んでしまうんだと、開き直って。
てんかんと寄り添いながらも幸せになれないか
娘の発作に対してのケアは、僕と妻のもっている知識の中で、最大限のことをやっているとは思います。
最近では、トリクロという眠りを促す薬を飲ませることで、発作の後もわりと落着きが保てるようです。
でも、生活の質を上げていくためには、さらにてんかんのことを深く知っていく必要があると考えています。
医療の面からいえば、いろいろな人の意見を聞いても、やはり、最適な薬の配合に至るには、かなり長い時間をかけて調整していく必要があるようです。
娘は成長期にあり、難しい状況ではありますが、信頼できるてんかんセンターの主治医と一緒に、長期的な視点で根気強くやっていきたいと思います。
また、医療の面からだけでなく、生活の面からも、てんかんについての知識を深めていく必要があると考えています。
同じようにてんかんのある子どもを育ててきた家族が、発作と寄り添いながらもどのようにして生活の質を保ってきたのか。
先輩たちの実体験から、もっともっと学ばせてもらいたいと思います。
知るべきこと、やるべきことは果てしない。
そしていつか、娘の涙のわけがわかってあげられる日が来ますように。