(2021.12.27 投稿)
どうも、おっさーです!
今回のお話は、 「日本における社会福祉の父」と呼ばれる糸賀一雄さんの著書、『この子らを世の光に』 の中から、障害者による自立自営の社会、『コロニー』の理想と、重度心身障害児を育てるということ、についてのお話です。
今回の記事の参考書籍と、著者のプロフィールです。
コロニーの夢
学園で引き受けている子どもたちの本当の幸福は、どこに求めたらよいのか。
著者はこのことについて、ずっと悩み続けていました。
そのときの心境を、このように述べています。
その後著者は、落穂寮、信楽寮、あざみ寮、日向弘済学園といった施設(コロニー)を相次いで設立していきます。
著者の志した、障害者による自立自営の社会、コロニーの建設。
現代においてはどうでしょうか?
現代においても、障害者雇用は理想的な状況とはとてもいえない状況です。
時々ニュースで耳にする親子心中事件は、子どもに自閉症などの障害がある場合が多い。
成人するまでは特別支援学校など居場所があるのに、成人したとたんに居場所が無くなってしまうという問題も深刻です。
ただ、著者が志した理想の社会の実現に向けての努力は、今後も続ける必要があるのではないでしょうか。
まだまだ、障害者による自立自営の社会の実現は道半ば。
個人的には、昨今叫ばれているDXやAIは、この分野に革新的な変化をもたらす可能性を秘めているのではないかと考えています。
排除の理論のコスト
近江学園設立にあたって、著者たちはまず、野良犬かのように放置されていた戦後の浮浪児問題に目を向けました。
「浮浪児狩り」という言葉に、そして、その現実に憤りを覚えました。
また、それと同じように、知的障害児たちがなんら顧みられることなく放置されている姿に、悲しみと憤りを覚えていました。
彼らも放ったらかしにされていれば、社会的にはどうしようもない無能力な人間になってしまうばかりです。
しかし、著者はこのように考えました。
僕もまったく同感です。
排除の理論のコストという言葉があります。
障害のある人を社会不適合者という烙印を押して排除すると、その人たちを保護するためのコストが膨らんでいきます。
一方で、社会不適合者をつくらないように社会の側のバリアを取り除いていったら。。。
その人たちの障害は無くなって、自立した生活ができるのです。
よって、社会の側は不適合の烙印をどんどん押していくのではなく、バリアを取り除いていくことにこそ、注力していかなけらばならないのです。
一方で現在は、保護するコストは厳しく抑えられているうえに、バリアを取り除いていく取り組みも不十分と言わざるをえないでしょう。
欧米先進国と比べてもあきらかです。
重度心身障害児への政策
障害児施設の教育では、知的障害児の職業訓練が重視されます。
もちろん、学校や施設では、単なる技術の訓練だけでなく、そのことを通して知的障害児の人格が形成されなければならないということは問題にはされています。
しかし、ここでいう人格というのは、経済社会の中での人的資源としてあつかわれる人格なのです。
著者はそのことを現実として、頭から否定はしませんが、一方でこのように懸念もしています。
どんな子どもでも、特に重度の障害がある場合、それは非常にわずかずつではありますが、それでも成長をしていきます。
わが家の重度脳障害のある娘も、5才にして立つこともしゃべることもできませんが、それでも少しずつ成長しています。
立ちたい、しゃべりたいという娘の意思も感じ取ることができます。
それは、健常児が歩む発達の法則性から、決してはずれたものではありません。
社会の中で経済的な自立などはとても期待できないような重度心身障害児について、著者はこのように述べています。
「この姿を実現させるためにこそ、国家、社会の力が動員されてよいのである」
私もまったく同感です。
同じように障害児を育てている親御さんは、療育手帳を取得したり、そのサービスを利用していくことに後ろめたさを感じる必要はないと思います。
たとえ障害があっても、親にとって子どもの成長は嬉しいものです。
また、社会的に自立できるできないにかかわらず、自分の子どもの幸せを願うのも当然のこと。
そういった、親であれば当然の願いが受け入れられる社会こそがよい社会といえるのではないでしょうか。
少子高齢化問題が叫ばれる現代ですが、「障害児生んだ、人生詰んだ」な社会では、誰もが安心して子ども産めないので。
まとめ
この本のタイトル『この子らを世の光に』は、著者の糸賀一雄さんがうったえ続けてきた言葉です。
もし、「を」と「に」を逆にして『この子らに世の光を』としたらどうなってしまうでしょうか。
子どもたちには、世間からの哀れみのスポットライトが当たってしまいます。
そうではなく、子どもたちが福祉によって自ら光輝く、そういった社会を目指してうたわれた言葉なのです。
戦中戦後の時代。
今よりも障害児への差別や風当りは強かったことでしょう。
そんな時代に、このような志をもって自らの人生を捧げ障害児福祉に尽くしていく。
なんて心のやさしい人なんだろう。
僕は今、障害児やその家族のためのブログを書いたり、妻は障害児のためのハンドメイド雑貨をつくるなどの活動をしています。
でもそれも、娘に障害があるというきっかけがあったからです。
そういう状況になったから自分ごとになったわけで、当事者でなければこのような活動をしようとも思わなかったと思います。
糸賀さんの理想とした社会の実現には、まだまだ道半ばかもしれまんせん。
でも、そんな志に生きた男がいたんだということを知ることは、大切なことだと思います。
そして、命が親から子へ受け継がれていくように、今を生きる僕たちが糸賀さんの意思を継ぎ、たとえ少しずつでも前に進めていかなければならないのではないでしょうか。